松角武忠

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松角 武忠(まつずみ たけただ、1865年3月7日慶応元年2月10日[1][2]) - 1912年明治45年)4月9日[3][4])は、明治時代の銀行家政治家。俳号に四海庵天禄[4]

経歴[編集]

江戸出身[4]。山下省二の男[注 1]として生まれ松角武重の養子となる[1]

東京市の水道計画の不備を指摘し、おされて1892年下谷区会議員となり[5]、のち1895年東京市会議員[6]1903年に同府会議員を歴任した[4][7]。1901年(明治34年)昌平銀行[注 2]を創立して頭取となった[4]

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『現代人名辞典』マ41頁では山下省三の男。
  2. ^ 昭和2年営業認可取消。

出典[編集]

  1. ^ a b 人事興信所 1903, 804頁.
  2. ^ 古林 1912, マ41頁.
  3. ^ 大植 1935, 1252頁.
  4. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 1756頁.
  5. ^ 東京市下谷区 1935, 279頁.
  6. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
  7. ^ 『東京朝日新聞』明治36年9月26日第3面。
  8. ^ 人事興信所 1928, ス11頁.
  9. ^ 『小伝乙骨太郎乙の歴史』永井菊枝、フィリア、2006、p219

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 古林亀治郎 編『現代人名辞典』中央通信社、1912年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1233643 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496