松野登十郎
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松野 登十郎(まつの とうじゅうろう、1777年(安永6年) - 1821年(文政4年))は、江戸時代の武士。摂津国長柄の代官。田安徳川家の家臣。諱は祐吉。幼名は七之助。
1777年(安永6年)、江戸で生まれる。田安徳川家に仕えていたが、1820年(文政3年)に大坂・南長柄の田安家領地の代官に任命された[1]。
しかし翌年の1821年(文政4年)に南長柄一帯が大飢饉となり、農民の苦境を見かねた登十郎は、田安家に使者を送って年貢の軽減を願い出るも田安家から拒絶され、登十郎は上申書を残して代官屋敷で割腹した。享年48[2]。墓所は大阪府大阪市北区長柄西の光明寺[3]。
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