板谷勘右衛門
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板谷 勘右衛門 いたや かんえもん | |
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生年月日 | 1875年(明治8年)9月4日 |
出生地 | 日本石川県鳳至郡剱地村(現:輪島市門前町剱地) |
没年月日 | 1941年(昭和16年)5月1日(満76歳没) |
出身校 | 新潟商業学校 |
前職 | 農業 |
所属政党 | 立憲政友会 |
称号 | 紺綬褒章 |
配偶者 | 板谷きく |
選挙区 | 鳳至郡選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1919年9月24日 - 1923年9月23日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1915年9月30日 - 1919年9月29日 |
第4・11代 剱地村長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1913年5月5日 - 1914年7月13日 1934年5月5日 - 1938年5月4日 |
在任期間 | 1913年5月5日 - 1938年 |
板谷 勘右衛門(いたや かんえもん 1875年9月4日 - 1941年5月1日)は日本の政治家。
来歴
[編集]1875年地元の地主である板谷助右衛門の長男として生まれる。新潟商業学校を卒業後農業に従事していたが、1913年剱地村会議員選挙に出馬し当選、さらに鳳至郡会議員、1919年には立憲政友会に属して石川県会議員に当選。 その後長らく剱地村長をつとめたのち、長年地方自治に尽くした功績で1939年8月1日紺綬褒章を受章した。1941年5月1日に76歳で死去。きく夫人との間に3男2女がある。
参考文献
[編集]『石川県議会史 第2巻』1968年
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 伊藤嘉久太郎 |
剱地村長 第4代:1913 - 1914 |
次代 岡本文吉 |
先代 輪島谷三平 |
剱地村長 第11代:1934 - 1938 |
次代 岡本文吉 |