林烴
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林 烴(りん けい、1540年 - 1616年)は、明代の官僚。字は貞燿。本貫は福州府閩県。
生涯
[編集]林庭機の次男として生まれた。1562年(嘉靖41年)、進士に及第した。戸部主事に任じられ、広西副使として出向した。1580年(万暦8年)、兄の林燫が死去すると、林烴は暇乞いをして帰郷した。1598年(万暦26年)5月、太僕寺少卿となった[1]。1604年(万暦32年)8月、南京太僕寺卿に進んだ[2]。1606年(万暦34年)8月、南京大理寺卿に転じた[3]。のちに刑部右侍郎に抜擢された。鉱税の禍について上疏し、逮捕された諸臣の釈放を求めたが、万暦帝の返答はなかった。1606年(万暦39年)8月、南京工部尚書となった[4]。致仕した。1616年(万暦44年)1月、死去した。享年は77。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『明史』巻163 列伝第51