柏崎市立柏崎小学校
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柏崎市立柏崎小学校 | |
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北緯37度22分19秒 東経138度33分15秒 / 北緯37.37205度 東経138.55418度座標: 北緯37度22分19秒 東経138度33分15秒 / 北緯37.37205度 東経138.55418度 | |
過去の名称 |
柏崎国民学校
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 柏崎市 |
創立者 | 柏崎市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B115220500016 |
所在地 | 〒945-0065 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
柏崎市立柏崎小学校(かしわざきしりつかしわざきしょうがっこう)は、新潟県柏崎市学校町1-88にある公立小学校である。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)10月 新潟県第4中学校区第37私学校として児童数33名で創立(10月2日)。
- 1873年(明治6年)12月 新潟県第4中学校区私立第5番小学と改称。
- 1878年(明治11年)9月 校舎現在地に新築。敷地内に行在所を設置し明治天皇巡幸時に宿泊。
- 1881年(明治14年)11月 新潟県第8中学校区第一小学区公立小学柏崎校と改称。
- 1885年(明治18年)8月 新潟県刈羽郡第一学区柏崎小学校と改称。
- 1887年(明治20年)4月 新潟県刈羽郡尋常科柏崎小学校と改称。
- 1892年(明治25年)4月 新潟県刈羽郡柏崎町立柏崎尋常小学校と改称。
- 1902年(明治35年)5月 行在所に皇太子(大正天皇)宿泊。
- 1917年(大正6年)7月 行在所に秩父宮・高松宮来所。
- 1922年(大正11年)11月 創立50周年記念事業で現校歌制定、および校旗樹立。
- 1928年(昭和3年)4月 児童数2,715名(翌年4月、大洲校を分離)。
- 1940年(昭和15年)7月 柏崎市立柏崎尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)4月 柏崎国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月 柏崎市立柏崎小学校と改称。
- 1947年(昭和22年)5月 柏崎市立第一中学校、第二中学校、第三中学校合同開校式が本校西運動場にて挙行。第一中学校、本校校舎を間借りし授業開始。
- 1947年(昭和22年)10月 昭和天皇の行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。グラウンドに市民奉迎場を設けて天皇を迎えた[2]。
- 1948年(昭和23年)7月 柏崎小学校PTA設立。文部省指定「正しく明るいことば」研究校。
- 1950年(昭和25年)5月 現グラウンド完成。
- 1951年(昭和26年)2月 学校給食開始。
- 1953年(昭和28年)4月 校舎を間借りしていた第一中学校が独立校舎へ移転。
- 1958年(昭和33年)10月 プール竣工。
- 1960年(昭和35年)11月 マーチングバンド結成。
- 1966年(昭和41年)10月 「強い子の像」除幕。
- 1967年(昭和42年)11月 「母子像」除幕。
- 1974年(昭和49年)10月 現校舎竣工。
- 1975年(昭和50年) 西運動場(現体育館)竣工。
- 1976年(昭和51年)8月 中庭ひょうたん池竣工。
- 1993年(平成5年)3月 児童会柏木会歌「柏の樹をこえて」制定。
- 2002年(平成14年)9月 校舎大規模改修工事竣工。
- 2003年(平成15年)10月 中庭「柏木ビオトープ」完成。
- 2007年(平成19年)8月 天皇・皇后来校(中越沖地震による避難所訪問)。
- 2008年(平成20年)7月 創立135周年記念航空写真撮影。
- 2011年(平成23年)4月 福島県被災児童25名受け入れ。
- 2013年(平成25年)10月 創立140周年記念「おいわいの140さい わくわく柏小シアター2013」を開催。
進学中学校
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、480頁。ISBN 978-4-487-74410-7。