柏農山勝栄
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基礎情報 | ||||
四股名 | 柏農山 勝栄→國錦 勝栄→柏農山 勝栄 | |||
本名 | 高木 勝栄 | |||
生年月日 | 1923年7月6日 | |||
没年月日 | 1958年5月16日(34歳没) | |||
出身 | 青森県南津軽郡大光寺町(現在の同県平川市) | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 86kg | |||
BMI | 28.73 | |||
所属部屋 | 高砂部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、吊り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭21枚目 | |||
生涯戦歴 | 73勝57敗28休(20場所) | |||
幕内戦歴 | 4勝7敗(1場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1940年1月場所 | |||
入幕 | 1948年5月場所 | |||
引退 | 1949年5月場所 | |||
引退後 | 年寄・芝田山 | |||
備考 | ||||
2014年5月23日現在 |
柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 - 1958年5月16日)は、青森県南津軽郡大光寺町(現役当時、現・同県平川市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高木 勝栄(たかぎ しょうえい)。最高位は西前頭21枚目(1948年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は左四つ、寄り、吊り[1]。
来歴
[編集]16歳の時上京し、元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1940年1月場所で初土俵を踏んだ[1]。因みに、当初より四股名は、「柏農山」であった(以後は「國錦」を名乗った事もあったが、すぐに元の「柏農山」へ再改名している)。
体重90kgに満たない小兵で、身長もあまり高くなかったが、そうした身体上のハンディを克服して順調に出世。序ノ口に付いて約5年の1945年6月場所にて、新十両に昇進した。
だが、同場所直前に応召され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後もスムーズに番付を上げてゆき、1948年5月場所で新入幕を果たした[1]。
左四つからの寄りや吊りを得意とし、俊敏な取り口で勝ち身も速かったものの、幕内では体の小ささも災いしてか苦戦。4勝7敗と大きく負け越して1場所で十両へ逆戻りし、以後、2度と幕内に復帰できなかった[1]。
現役晩年は酒により健康を害した事もあって休場がちとなり、幕下2枚目まで番付を落として1949年5月場所後、25歳で引退を表明。新入幕から、僅か1年後の事であった[1]。
引退後は日本相撲協会に残り、年寄・芝田山として後進を指導していたが、1952年5月場所を以って元前頭3枚目・大ノ海に名跡を譲渡し廃業した。
その後も酒が過ぎて健康はすぐれず、1958年5月16日に病のため亡くなった。享年34[1]。
主な戦績
[編集]- 通算成績:73勝57敗28休 勝率.562
- 幕内成績:4勝7敗 勝率.364
- 現役在位:20場所
- 幕内在位:1場所
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | 東序ノ口31枚目 4–4 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
西序二段84枚目 8–0 |
東三段目37枚目 4–4 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
東三段目36枚目 4–4 |
西三段目14枚目 6–2 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
東幕下40枚目 5–3 |
東幕下26枚目 7–1 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
西幕下6枚目 2–6 |
西幕下26枚目 3–2 |
西幕下16枚目 4–1 |
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1945年 (昭和20年) |
x | 東十両13枚目 – 応召 |
東十両 – 応召 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 東十両 8–5 |
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1947年 (昭和22年) |
x | 東十両6枚目 6–4 |
東十両2枚目 6–5 |
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1948年 (昭和23年) |
x | 西前頭21枚目 4–7 |
西十両2枚目 2–9 |
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1949年 (昭和24年) |
西十両9枚目 0–0–13 |
東幕下2枚目 引退 0–0–15 |
x | |||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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明瀬川 | 0 | 1 | 大熊 | 0 | 1 | 九州錦 | 1 | 0 | 玉櫻 | 0 | 1 | |||
竹旺山 | 0 | 1 | 大起(穂波山) | 0 | 1 | 緑國 | 0 | 1 | 若葉山 | 1 | 0 |
※1945年の夏、秋場所は、応召のために出場していない。同年秋場所での番付上の扱いは、東十両の番付外。復帰した1946年秋場所の番付では、帰還別格扱いとなり、東十両の番付外で出場した[2]。
改名歴
[編集]- 柏農山(はくのうざん、1940年5月場所-1945年11月場所)
- 國錦(くににしき、1946年11月場所)
- 柏農山(はくのうざん、1947年6月場所-1949年5月場所)
年寄変遷
[編集]- 芝田山(しばたやま、1949年5月-1952年5月)