柳井大丸
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本社所在地 |
日本 山口県柳井市古開作233-22[1] |
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設立 | 1963年(昭和38年)8月1日[1][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店[2][3] |
代表者 | 藤井和人(社長)[1][3][2] |
資本金 | 2860万円[3][2] |
発行済株式総数 | 57,200株[2] |
売上高 | 約4億3000万円[3] |
従業員数 |
81[1] ↓ 94[2] |
決算期 | 3月[3] |
主要株主 |
中石雅美9,600株[4] 岡本豊8,600株[3][4] 藤井和人7,000株[3][4] 山本幾蔵5,200株[3] |
柳井大丸[5] | |
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店舗概要 | |
所在地 | 山口県柳井市古開作233-22[1] |
開業日 | 1963年(昭和38年)12月[5] |
閉業日 | 2000年(平成12年)8月15日[8] |
敷地面積 | 960 m²[3] |
商業施設面積 |
1,196m2[6] ↓ 1,380m2[7] ↓ 2,129m2[3][7] ↓ 2,884 m²[5] |
最寄駅 | 柳井駅[2] |
柳井大丸(やないだいまる)は、山口県柳井市古開作にあった日本の百貨店である[3]。
歴史・概要
[編集]1963年(昭和38年)2月に有志15名が「柳井駅前商工ビル協同組合」を結成し[1]、 同年8月1日に[1]資本金2860万円で[3]「株式会社 美老」を設立した[1]。 同年10月に「株式会社 柳井大丸」に商号を変更し[1]、同年12月に「柳井大丸」を開業した[5]。
1967年(昭和42年)12月26日に売場面積を1,380m2から2,129m2へ増床して百貨店の開業する認可を得た[7]。
2000年(平成12年)8月15日に婦人服小売の「吉岡」が民事再生手続を開始して事実上倒産したのに伴い、同社の関連会社となっていた柳井大丸も自己破産を申請した[8]。
年表
[編集]- 1963年(昭和38年)
- 1967年(昭和42年)12月26日 - 売場面積を1,380m2から2,129m2へ増床して百貨店の開業する認可を得る[7]。
- 2000年(平成12年)8月15日 - 「吉岡」の民事再生手続に伴い、柳井大丸も自己破産を申請[8]。
かつて存在した店舗
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2839
- ^ a b c d e f g 『防長年鑑 昭和49年版』 防長新聞社、1973年12月31日。pp752
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1999
- ^ a b c 『帝国銀行・会社要録 第50版』 帝国興信所、1969年。pp山口42
- ^ a b c d e 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp967
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp361
- ^ a b c d “百貨店審議会公示・答申”. 日本百貨店協会通報 672号 (日本百貨店協会) (1967年1月1日).pp8
- ^ a b c 『経済日誌(山口県内)』 やまぐち経済月報 2000年9月号 (山口経済研究所) (2000年9月)。pp60
- ^ 『基準地案内図 56年改訂版』 山口県企画部土地対策課、1981年。pp22