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柳井大丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳井駅前商工ビル協同組合[1]

株式会社 美老[1]

株式会社 柳井大丸[1]
本社所在地 日本の旗 日本
山口県柳井市古開作233-22[1]
設立 1963年昭和38年)8月1日[1][2]
業種 小売業
事業内容 百貨店[2][3]
代表者 藤井和人(社長)[1][3][2]
資本金 2860万円[3][2]
発行済株式総数 57,200株[2]
売上高 約4億3000万円[3]
従業員数 81[1]

94[2]
決算期 3月[3]
主要株主 中石雅美9,600株[4]
岡本豊8,600株[3][4]
藤井和人7,000株[3][4]
山本幾蔵5,200株[3]
テンプレートを表示
柳井大丸[5]
店舗概要
所在地 山口県柳井市古開作233-22[1]
開業日 1963年昭和38年)12月[5]
閉業日 2000年平成12年)8月15日[8]
敷地面積 960 m²[3]
商業施設面積 1,196m2[6]

1,380m2[7]

2,129m2[3][7]

2,884 m²[5]
最寄駅 柳井駅[2]
テンプレートを表示

柳井大丸(やないだいまる)は、山口県柳井市古開作にあった日本の百貨店である[3]

歴史・概要

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1963年昭和38年)2月に有志15名が「柳井駅前商工ビル協同組合」を結成し[1]、 同年8月1日[1]資本金2860万円で[3]「株式会社 美老」を設立した[1]。 同年10月に「株式会社 柳井大丸」に商号を変更し[1]、同年12月に「柳井大丸」を開業した[5]

1967年(昭和42年)12月26日に売場面積を1,380m2から2,129m2へ増床して百貨店の開業する認可を得た[7]

2000年平成12年)8月15日に婦人服小売の「吉岡」が民事再生手続を開始して事実上倒産したのに伴い、同社の関連会社となっていた柳井大丸も自己破産を申請した[8]

年表

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  • 1963年昭和38年)
    • 2月 - 有志15名が「柳井駅前商工ビル協同組合」を結成[1]
    • 8月1日[1] - 資本金2860万円で[3]「株式会社 美老」を設立[1]
    • 10月 - 「株式会社 柳井大丸」に商号を変更[1]
    • 12月 - 「柳井大丸」を開業[5]
  • 1967年(昭和42年)12月26日 - 売場面積を1,380m2から2,129m2へ増床して百貨店の開業する認可を得る[7]
  • 2000年平成12年)8月15日 - 「吉岡」の民事再生手続に伴い、柳井大丸も自己破産を申請[8]

かつて存在した店舗

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2839
  2. ^ a b c d e f g 『防長年鑑 昭和49年版』 防長新聞社、1973年12月31日。pp752
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1999
  4. ^ a b c 『帝国銀行・会社要録 第50版』 帝国興信所、1969年。pp山口42
  5. ^ a b c d e 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp967
  6. ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp361
  7. ^ a b c d “百貨店審議会公示・答申”. 日本百貨店協会通報 672号 (日本百貨店協会) (1967年1月1日).pp8
  8. ^ a b c 『経済日誌(山口県内)』 やまぐち経済月報 2000年9月号 (山口経済研究所) (2000年9月)。pp60
  9. ^ 『基準地案内図 56年改訂版』 山口県企画部土地対策課、1981年。pp22