柳沢寺 (群馬県榛東村)
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柳沢寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 群馬県北群馬郡榛東村山子田2535 |
位置 | 北緯36度26分32.4秒 東経138度58分22.4秒 / 北緯36.442333度 東経138.972889度座標: 北緯36度26分32.4秒 東経138度58分22.4秒 / 北緯36.442333度 東経138.972889度 |
山号 | 船尾山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 弘仁年間(810年 - 824年) |
開山 | 伝教大師最澄 |
開基 | 群馬太夫満行 |
中興年 | 江戸時代初期 |
中興 | 慈眼大師天海、安藤重長 |
文化財 | 柳沢寺縁起二巻(榛東村指定文化財) |
公式サイト | 柳沢寺|北群馬郡 天台宗寺院 永代供養 榛東村 |
法人番号 | 3070005005621 |
柳沢寺(りゅうたくじ)は、群馬県北群馬郡榛東村にある天台宗の寺院。
歴史
[編集]弘仁年間(810年 - 824年)、群馬太夫満行の開基である。伝教大師最澄が東国巡錫のおり、当地の群馬太夫満行が最澄を招聘して寺を創建した[1][2]。
中世には、延暦寺の末寺として多くの僧侶を輩出した。しかし、戦国時代の兵火で、当寺は全焼してしまい、寺運衰微を余儀なくされた[1]。
江戸時代初期、慈眼大師天海や高崎藩の藩主安藤重長によって中興された[1]。
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仁王門
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本堂
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鐘楼
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赤門
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五重塔
相満伝説
[編集]当寺の本尊は千手観音であり、「子授け観音」と呼ばれていた。後継者不在で悩んでいた千葉常将は、この観音に祈願し、念願通り男子を授かることができた。この男子は「相満」と名付けられ、当寺で養育された。
相満は当寺で成長したが、ある日、天狗によって天狗攫い(神隠しの一種)に遭い、姿を消してしまった。常将は、当寺が相満を隠していると誤解し、軍勢を差し向けて焼き討ちしてしまった。
後に天狗の仕業であることが判明し、常将は無実の寺を焼き払ったことに自責の念を感じ、自害してしまった。常将の妻は、夫の菩提を弔うために当寺を再建し、その後、夫の後を追って自害したという。
文化財
[編集]- 柳沢寺縁起二巻(榛東村指定文化財)[3]
交通アクセス
[編集]- 駒寄SICより車9分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年