柳沢経隆
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄7年11月16日(1695年1月1日) |
死没 | 享保10年8月23日(1725年9月29日) |
改名 | 安通、伊織→経隆 |
墓所 | 東京都新宿区市ヶ谷河田町正覚山月桂寺 |
官位 | 従五位下、刑部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家宣→家継→吉宗 |
藩 | 甲斐甲府新田藩主→越後黒川藩主 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 父:柳沢吉保、母:正親町町子(あるいは田中氏) |
兄弟 | 吉里、長暢、安基、経隆、時睦、米倉忠仰、保経、内藤政森室、松平資訓継々室 |
妻 | 正親町直子(大納言正親町実豊の娘) |
子 | 養子:里済 |
柳沢 経隆(やなぎさわ つねたか)は、甲斐甲府新田藩主、のち越後黒川藩の初代藩主。側用人として有名な柳沢吉保の四男。母は側室正親町町子(田中氏とも)。正室は正親町直子。官位は従五位下、刑部少輔。
経歴
[編集]江戸神田橋邸にて生まれる。幼名は安通、伊織。元禄8年(1695年)6月19日、将軍徳川綱吉の命令を受けて横手姓に改姓した。その後の元禄14年(1701年)11月26日、松平姓を名乗ることを許される。宝永6年(1709年)6月3日、父より1万石を分与されて甲府新田藩主となった。宝永7年(1710年)4月7日に元服する。
享保9年(1724年)閏4月28日、甲斐から越後黒川に移封されたが、翌年8月23日に32歳で死去した。子がなく、跡を養嗣子の里済が継いだ。法号は実山勝義天休院。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。
系譜
[編集]父母
正室
- 正親町直子 - 正親町公通の娘
養子
脚注
[編集]- ^ 田中氏とも。