柳田敏司
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栁田敏司(やなぎだ としじ[1]、1926年4月4日[2] – 2011年8月17日[3])は、日本の考古学者。
経歴
[編集]大宮市生まれ[2]。1947年埼玉師範学校本科卒業[2]。1951年3月國學院大學文学部史学科を卒業[2]。卒業論文は「武州大宮宿檢地の一考察」[4]。中学校、高等学校の教員を経て、1956年7月、埼玉県教育局社会教育課文化財保護係に異動[5]となり、以後、埼玉県の文化財保護行政に携わる。埼玉県庁で、文化財保護課長、埼玉県立博物館長などを歴任したのち、埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県考古学会長なども務める。2005年秋の叙勲で双光旭日章受章[6]。
参考文献
[編集]- 関義則「《追悼》さきたま風土記の丘整備事業と柳田敏司氏」『埼玉県立史跡の博物館紀要』第6号、埼玉県立さきたま史跡の博物館・埼玉県立嵐山史跡の博物館、2012年、139-142頁。
- 柳田敏司『杖刀人のふる里に生まれて : 埼玉の歴史と文化財』柳田敏司先生還暦記念「杖刀人のふる里に生まれて」刊行会、1987年。
- 柳田敏司「文化財保護行政の歩み 一地域からみた40年」『文部時報』第1363号、文部省・ぎょうせい、1990年、43-49頁、NAID 40003656955。