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柳谷素霊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

栁谷 素霊(やなぎや それい、1906年11月6日 - 1959年2月20日)は、日本の鍼灸師(医学博士)である。籍名は清助。享年54(満52歳)。弟子に岡部素道井上恵理本間祥白小野文恵、伊藤瑞鳳、宮入隆博がいる。

人物像

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1906年(明治39年)11月6日、青森県青森市相馬町に生まれる[1][2]。幼少期は函館市で過ごし、高等小学校卒業後、音尾正衛が校長を務める日本鍼灸専門学院に入学し、翌年1923年(大正12年)、鍼・灸術資格試験に合格[3]1927年(昭和2年)、日本大学法文学部宗教科に入学。素霊鍼灸塾(現・東洋鍼灸専門学校)を創設する。素霊と号す。1931年(昭和6年)、東京鍼灸医学研究所を結成、機関誌『東京鍼灸医学誌』を発行する。1934年(昭和9年)、日本漢方医学会を結成。1934年(昭和10年)日本高等鍼灸学院を創設。1937年(昭和12年)拓殖大学漢方医学講座が始まり講師となる。1938年(昭和13年)、雑誌『蓬松』を刊行。医道の日本社を創設。東亜医学協会の理事となる。1940年(昭和15年)に古典に還れをスローガンに岡部素道、井上恵理らと古典鍼灸研究会を創設[4]1943年(昭和18年)、日本鍼灸医学研究所を結成。顧問となる。所長に駒井一雄医師、副所長に竹山晋一郎、主任に本間祥白を迎え、弟子である岡部素道に(霊枢)、井上恵理に(難経)、小野文恵に(鍼灸重宝記)を研究するように命じた。「日本鍼灸医学術」発刊、全8巻。1955年(昭和30年)、フランス国際鍼灸会の招聘により渡欧、フランス、ベルギー、西ドイツの学会で日本の古典鍼灸術を紹介。フランス、パリ鍼学会顧問に就任。1957年(昭和32年)、東洋鍼灸専門学校を創設、初代校長に就任。1959年(昭和34年)2月20日東京逓信病院にて、永眠。享年54(満52歳)[1]。墓所は小平霊園(32-12-21)。

脚注

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  1. ^ a b 「創立者栁谷素霊」、東洋鍼灸専門学校公式サイト(2009年10月4日閲覧)
  2. ^ 伊藤瑞凰 et al. 1978.
  3. ^ 山崎治助「故栁谷さんの少年時代」『漢方の臨床』1959年、6巻、8号、p475
  4. ^ 素霊は「古典的治療に還れ」と言った、「古典に還れ」の合い言葉は竹山晋一郎が作ったという説がある。『柳谷素霊に還れ』医道の日本社、2009年

参考文献

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  • 伊藤瑞凰、西田勇三郎、中村万喜男、富田道夫「柳谷素霊先生の業績」『日本鍼灸治療学会誌』第27巻第1号、全日本鍼灸学会、1978年、291-298頁、doi:10.11525/jjsam1955.27.291ISSN 0546-13672019年1月25日閲覧 

関連項目

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