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柴田 喜三郎(しばた きさぶろう、1901年7月23日 - 1998年1月5日)は、日本の経営者。大阪府大阪市出身[1]。
1918年に関西商工学校を卒業[1]。1929年に発動機製造(のちのダイハツ工業)に入社し、1943年に取締役に就任し、常務、専務を歴任[1]。1966年に再び取締役に就任し、顧問、ダイハツディーゼル社長、会長、相談役を歴任した[1]。
1969年に藍綬褒章を受章し、1975年に勲四等旭日小綬章を受章した[1]。
1998年1月5日全身衰弱のために宝塚市の病院で死去[2]。96歳没。
- ^ a b c d e 「現代物故者事典 1997-1999 p286」
- ^ 1998年 1月7日 日本経済新聞 朝刊 p39