栗山勝三
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栗山 勝三(くりやま しょうぞう、1854年9月28日(安政元年8月7日[1]) - 1940年(昭和15年)10月[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]山城国、のちの京都府出身[1][2][3]。士族・栗山惣七の長男として生まれ、1874年(明治7年)家督を相続する[1]。沼津兵学校第6期資業生[4]。1875年(明治8年)陸軍士官学校に入学し(旧2期[2][3])[1]、1879年(明治12年)2月、陸軍砲兵少尉に任官する[5]。1887年(明治20年)イタリアへ留学し、1897年(明治30年)欧米へ赴任した[6]。この間、陸軍教導団教官、大阪砲兵廠製造所長などを歴任し[1]、1902年(明治35年)6月、大佐に進級と同時に砲兵会議審査官に補された[3]。
1903年(明治36年)5月、陸軍技術審査部審査官に転じ、1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級と同時に予備役編入となった[2][3]。晩年は京都市伏見区に住んだ[4]。
親族
[編集]- 娘婿:山崎友造(次女幸子夫、陸軍少将)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大野虎雄『沼津兵学校と其人材』大野虎雄、1939年 。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。