栩原一男
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栩原一男 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1957年7月2日(67歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1978年3月4日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 | 1994年2月28日 |
通算勝利 | 1451戦89勝 |
栩原 一男(とちはら かずお、1957年7月2日 - )は、日本の元騎手。
来歴
[編集]1978年3月4日の阪神第1競走4歳以上200万下・グレースジョオー(12頭中11着)で初騎乗[1]を果たし、4月15日の阪神第4競走障害5歳以上未勝利・カネキナスルーラーで初勝利[2]を挙げる[3]。9月9日の阪神で初の特別勝ち、翌10日の阪神では初の2日連続勝利を挙げる[4]など、1年目の同年は9勝[5]をマーク。
2年目の1979年には2月3日の中京で初の1日2勝[6]を挙げ、初の2桁勝利で自己最多の21勝[5]をマーク。
3年目の1980年には2年連続で最後の2桁となる10勝[5]をマークし、阪神3歳ステークスではジョーオラトリオでハナ差2着[7]と惜敗。
1984年には馬主の西山茂行が「絶対ダービーを取れる[8]」と感じたホウシュウエイト産駒のニシノバルカンに騎乗し、新馬→万両賞(400万下)を連勝[9]。阪神3歳ステークスでは単勝1.9倍の1番人気に支持されたが、向正面で競走を中止し予後不良となった[10]。このレースについて、西山は後にブログで「一生忘れない。[10]」「思い出すのもイヤ[11]」、Xではニシノバルカンについて「人生を変えた」「生涯わしの心の名馬」と書いている[12]。
1993年3月28日の阪神第1競走4歳未出走・エリモダリアが最後の勝利となり、1994年2月27日の中京第3競走4歳未勝利・ドレスデンマサル(16頭中9着)を最後に引退[13]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 85 | 95 | 103 | 1106 | 1389 | .061 | .130 |
障害 | 4 | 7 | 6 | 45 | 62 | .065 | .177 |
計 | 89 | 102 | 109 | 1151 | 1451 | .061 | .132 |
脚注
[編集]- ^ “栩原一男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “栩原一男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “栩原一男のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|栩原一男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ a b c “栩原一男の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|栩原一男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “阪神3歳ステークス|1980年12月7日”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ 『優駿』1992年6月号 85頁
- ^ “ニシノバルカン (Nishino Balkan)”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ a b “やむを得ないが…”. ameblo.jp. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “大阪前日入りしてます。”. ameblo.jp. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “西山茂行 on X: "皆さま、たくさんの懐かしい馬の話、本当にありがとうございました😊。すべてに想い出があり忘れている馬は1頭もありませんでした。出てこなかったけど西山茂行の人生を変えた2頭、ニシノバルカンとセイウンアレースは生涯わしの心の名馬です。あと、メジャーワンを覚えている人はいなかったか。(笑) https://t.co/ItDhWawHZC" / X”. x.com. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “栩原一男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月24日閲覧。