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桂文都 (3代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3代目 かつら 文都ぶんと
本名 梅川 五兵衛
別名 立ち切れの文都
生年月日 不詳年
没年月日 1918年12月19日
出身地 日本の旗 日本大阪
師匠 3代目桂文吾
初代桂文團治
弟子 4代目桂文都
名跡 1. 桂源吾(不詳)
2. 桂玉輔(? - 1886年)
3. 桂正竹(1886年)
4. 初代桂玉團治(1886年 - 1890年)
5. 桂玉輔(1890年 - 1891年)
6. 桂伯枝(1891年 - 1899年)
7. 桂慶枝(1899年 - 1903年)
8. 3代目桂文都(1903年 - 1905年)
9. 梅川吾瓶(1905年)
10. 3代目桂文都(1905年 - 1916年)
11. 梅川文園(1916年 - 1918年)
活動期間 ? - 1916年
活動内容 上方落語
人情噺
家族 4代目桂文都(実子)
所属 桂派
三友派
大阪三友派
主な作品
立ち切れ線香

3代目 桂 文都(かつら ぶんと、生年不詳 - 1918年12月19日)は、落語家上方噺家)。本名:梅川五兵衛(五平とも)。享年不詳。

何度も師匠を変え、改名を繰り返し、所属を変えている事から、改名順序等について、はっきりとは正確に掴み難い。以下は『古今東西噺家紳士録』の経歴による。

3代目桂文三4代目桂文吾と共に、当時の名人として称えられた。上方落語では珍しい人情噺を得意とし、特に『立ち切れ線香』が得意で、「立ち切れの文都」とあだ名されるほどであった。他に『子は鎹』『三枚起請』『冬の遊び』などを十八番としていた。

しかし、大酒飲みのためアルコール依存症となり、このことが文都の芸歴を挫折させることとなった。晩年、駄菓子屋で無銭飲食をしている所を見咎められた際、既に発狂していたという。3代目文三、4代目文吾と共に、その生涯の終わりもまた不幸であった。

門下の4代目桂文都は実子。

出典

[編集]
  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
  • 『古今東西噺家紳士録』(エーピーピーカンパニー;丸善 2000年、 ISBN 9784998082002