桂本和夫
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獲得メダル | ||
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桂本和夫 | ||
日本 | ||
男子 レスリング・フリースタイル | ||
レスリング世界選手権 | ||
銅 | 1954 東京 | 79kg級 |
アジア大会 | ||
金 | 1954 マニラ | 79kg級 |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道留萌支庁増毛郡増毛町 |
生年月日 | 1934年9月5日 |
没年月日 | 不明 |
身長 体重 |
173 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1957年 |
初出場 | 1957年 |
最終出場 | 1958年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明[1])は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。
概要
[編集]北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
中央大学を卒業すると、その腕力を期待されて1957年にプロ野球チームの国鉄スワローズに入団した[1]。
国際大会での成績
[編集]- オリンピックの記録
- 1956年-メルボルン大会五輪-レスリング-フリースタイル・ミドル級(5位入賞)
- 世界選手権の記録
- 1954年-世界選手権東京大会-レスリング-フリースタイル・ミドル級(3位入賞)
プロ野球での成績
[編集]1957年から1960年に、国鉄スワローズの外野手として在籍した。レスリングの経験で鍛えられた腕力・下半身が発揮されることを宇野光雄監督に期待されたが、プロ野球の世界には適応できなかった[2]。引退後は、北海道に本社を持つ、観光会社の会社員となった。
年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1957 | 国鉄 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1958 | 7 | 8 | 7 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .286 | .375 | .429 | .804 | |
通算:2年 | 9 | 10 | 9 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .222 | .300 | .333 | .633 |
背番号
[編集]- 58 (1957年 - 1960年)
脚注
[編集]- ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、148ページ
- ^ a b 『完全版 プロ野球人国記』 北海道・東北編、ベースボール・マガジン社、2004年7月10日、31頁。ISBN 4583038054。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 桂本和夫 - International Wrestling Database
- 桂本和夫 - Olympedia
- 個人年度別成績 桂本和夫 - NPB.jp 日本野球機構