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桂村 兵右衛門(かつらむら へいえもん、明和2年(1765年) - 文化2年(1805年))は、江戸時代後期の一揆指導者[1]、義民[2]。牛久助郷一揆の頭取のひとり。
常陸国信太郡桂村の人物[2]。
文化元年(1804年)水戸街道牛久宿の問屋麻屋和藤治による助郷役課増に反対し、小池村吉十郎・小池村勇七と共に一揆を指導[1][2]。一揆の頭取を務めた廉で捕えられ他の二人と共に江戸に送られ、文化2年(1805年)獄死した[1][2]。