桂梅團治
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桂 梅團治(かつら うめだんじ)は、上方落語の名跡。梅団治とも表記する。当代は4代目。初代以前にも別の梅團治がいたとされるが、詳細は不明。
- 初代桂梅團治 - (1858年 - 1904年11月28日)本名∶菅井 友二郎。初め桂梅丸の門下で、後に2代目桂文團治の門下に移り、梅團治を名乗る。元は煙草入れを作る職人だったと言う。三友派に属し地味ではあるが篤実な芸風であったと伝える。一時期、同門の桂篤團治と軽口のコンビを組み活躍したが、晩年は再び落語に復帰した。十八番は『稽古屋』『田楽食い』『乙女狐』など。妻は初代桂文我の姪の「おこま」。
- 2代目桂梅團治 - 本項にて記述。
- 3代目桂梅團治 - 後の2代目三遊亭百生。
- 4代目桂梅團治 - 当代。3代目桂春團治の門下。
2代目 | |
生年月日 | 不詳年 |
---|---|
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | 日本 |
師匠 | 2代目桂文昇 7代目桂文治 |
名跡 | 1. (代外)桂文之助 2. 桂米昇 3. 2代目桂梅團治 |
活動内容 | 上方落語 |
家族 | 2代目桂文昇(養父) |
2代目 桂梅團治(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。
初め2代目桂文昇の養子となり、文之助(大名跡の桂文之助とは異なる)を名乗る。明治の末期に米昇となる。1922年1月、2代目桂文團治の門下に移り、2代目梅團治を襲名。
主に神戸の寄席で活躍し、「出歯の米昇」のあだ名で親しまれていた。十八番は『ふたなり』『人形買い』など。
純大阪の達者な語り口であった。
1940年には既に故人となっている。
出典
[編集]- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年) - 2代目梅團治を三遊亭百生の前名としているが、明らかな誤り。
- 『桂春団治』(富士正晴著)
- 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)