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桃井 尚義(もものい なおよし、? - 1333年?)は、鎌倉時代末期の武将。通称は次郎、鎌倉幕府の御家人。清和源氏足利氏の支族桃井氏の当主。
元弘3年(1333年)に新田義貞の鎌倉幕府討滅の挙兵に従軍して、鎌倉で戦死した。
建武の新政崩壊後、尚義の系統は新田方と、惣領の足利方(桃井義盛)に分裂した。尚義の系統は義貞に桃井駿河守義繁、桃井遠江守が臣従した。
角川歴彦発行『群馬県姓氏家系大辞典 』角川書店 平成6年 第一部 歴史人物編300頁参照。