桑山貞晴
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長9年(1604年) |
死没 | 寛永6年9月29日(1629年11月14日) |
別名 | 主殿(通称) |
戒名 | 法性院殿大源紹用大居士 |
墓所 | 東京都練馬区桜台の広徳寺 |
官位 | 従五位下加賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠、家光 |
藩 | 大和御所藩主 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 桑山元晴 |
兄弟 | 清晴、貞晴、栄晴、岡部宣勝正室 |
妻 | 本多康紀娘 |
子 | 貞頼、貞利、貞勝、貞寄、仁賀保誠政室、女子 |
桑山 貞晴(くわやま さだはる)は、江戸時代前期の大名。大和国御所藩2代藩主。官位は従五位下・加賀守。同名のおじがいる。
略歴
[編集]初代藩主・桑山元晴の次男として誕生。元和6年(1620年)、父の死去により跡を継ぐ。正室は本多康紀娘。
元和9年(1623年)、従五位下加賀守に叙任される。しかし寛永6年(1629年)に継嗣のないまま26歳で死去した。
貞晴は弟・栄晴を末期養子として継がせようとしたが認められず、御所藩は廃藩、幕府領となった。
しかし父・元晴の功績に免じて、翌年6月に栄晴が名跡を相続することのみは認められ、寛永11年(1634年)には500俵を給され、子孫は1000石の旗本として存続した。
参考文献
[編集]- 小和田哲男, 菅原正子, 仁藤敦史 編『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。ISBN 4062115786。
- 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第6輯』國民圖書、1923年 。