桔梗利一
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桔梗 利一(ききょう りいち、1907年〈明治40年〉9月2日 - 1975年〈昭和50年〉9月23日)は、文藝春秋社編集者(1929年〈昭和4年〉7月 - 1943年〈昭和18年〉9月、1953年〈昭和28年〉12月21日 - 1972年〈昭和47年〉9月2日)。
経歴
[編集]- 1907年(明治40年) 兵庫県姫路市で出生。姫路中学校[要曖昧さ回避](現兵庫県立姫路西高等学校)入学。野球部に所属。
- 1929年(昭和4年)関西学院大学卒業。
- 1929年(昭和4年)7月に文藝春秋社見習い社員で入社。
- 1929年(昭和4年)- 1932年(昭和7年)「婦人サロン」編集部所属。同編集部に石井桃子(1929年〈昭和4年〉12月入社)[1]。
- 1930年(昭和5年)5月に正社員。
- 1933年(昭和8年)10月「オール読物」編集長[2][3]。
- 1934年(昭和9年)6月「話[要曖昧さ回避]」編集主任(編集長は当時社長であった菊池寛)[4][2][3][5]。
- 1939年(昭和14年)6月 「大洋」編集長[2][3]。
- 1941年(昭和16年)11月「大和」創刊、編集に携わる[6]。
- 1943年(昭和18年)9月 召集[2][3]。中国北支山西省太原(たいげん)で宣伝班所属。
- 1946年(昭和21年)夏に帰還、文藝春秋社解散中だったため新生社入社[2][7][8]。この年レッドパージ
- 1950年(昭和25年)10月 レッドパージ解除。
- 1953年(昭和28年)12月21日 文藝春秋社再入社。『文藝春秋三十五年史稿』(1959年)の資料収集整理にあたる[3]。
- 1967年(昭和42年)9月2日 定年退職。
- 1972年(昭和47年)9月2日 退社。
- 1975年(昭和50年)9月23日 脳出血で死去。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 尾崎 2014, p. 127.
- ^ a b c d e 福島 1994, pp. 61, 147.
- ^ a b c d e 文藝春秋三十五年史稿 1959, p. [要ページ番号].
- ^ 門井慶喜『文豪社長になる 』文藝春秋、2023年3月10日、229頁。
- ^ 池島 2005, p. 69.
- ^ 平山三郎『実歴阿房列車先生』旺文社文庫、1983年11月25日、19頁。
- ^ 田村泰次郎「「新生」と青山氏のこと」『回想の新生-ある戦後雑誌の軌跡-』「新生」復刻編集委員会、1973年9月15日、65頁。
- ^ 『文藝春秋六十年の歩み』文藝春秋、1982年1月10日、134頁。
- ^ ハンス・W・ベーア 編集、高橋健二 訳編『第2次世界大戦戦没者の手紙と手記 人間の声1943-45』河出書房新社、1962年、141頁。
- ^ 今 1978, pp. 48, 115, 266.
- ^ NHK取材班 1986, p. 176--179.
参考文献
[編集]- 尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』新潮社、2014年6月。ISBN 9784103358510。
- 池島信平『雑誌記者』(改版)中央公論新社〈中公文庫〉、2005年6月。ISBN 4122045487。
- 今日出海『山中放浪』中央公論社〈中公文庫〉、1978年12月。ISBN 4122005957。
- NHK取材班『塹壕のマドンナ』日本放送出版協会、1986年2月。ISBN 4140084693。
- 福島保夫『書肆「新生社」私史 もと編集部員の回想』武蔵野書房、1994年12月。全国書誌番号:95059603。
- 『文藝春秋三十五年史稿』文芸春秋新社、1959年。全国書誌番号:59010015。