桜井三男 (ジャーナリスト)
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櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月17日 - 2006年(平成18年)4月)は、日本のジャーナリスト、実業家。
上毛新聞元専務・論説委員長[1][2]。上毛新聞TRサービス元取締役[2]。
経歴
[編集]群馬県出身[1]。父は太田市出身の教師[3]。1948年(昭和23年)旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。1949年(昭和24年)名古屋大学法経学部を中退[2][3]。1950年(昭和25年)上毛新聞社に入社。入社後は報道部長、企画室長、高崎支社編集局長を経て、1974年(昭和49年)同社取締役に就任[2]。1977年(昭和52年)同社常務を経て、1989年(平成元年)同社専務・論説委員長に就任[2][4]。
人物
[編集]趣味は音楽鑑賞[2]。
家族・親族
[編集]兄は櫻井次男。1918年12月9日、群馬県生まれ。旧制第一高等学校を経て、1942年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格し商工省(現経済産業省)に入省すると同時に、海軍短期現役制度で海軍経理学校に入校。翌年に主計中尉となり海防隊の主計長として勤務、その翌年に大尉と役職が上がり、輸送船を護衛する海防艦を何隻か乗り換え、終戦の年の昭和20年3月29日、ベトナム東岸沖で乗艦が米空軍機に撃沈され戦死した[6][7]。
脚注
[編集]- ^ a b 『日本著者名人名典拠錄』日外アソシエーツ、1989年、1899頁。
- ^ a b c d e f 『産経日本紳士録 上 第17版』産経新聞年鑑局、1982年、さ 119頁。
- ^ a b “嵐・櫻井翔のおばあちゃんが「エリート一家のルーツ」を明かした(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2018年3月8日). 2023年9月18日閲覧。
- ^ 『現代日本人名錄 90』日外アソシエーツ、1990年、294頁。
- ^ 『Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2021年12月14日号』CCCメディアハウス、2021年12月7日、20頁。
- ^ “若者はこうして戦地へ送られた──櫻井翔が日本近代史家・秦郁彦に聞く”. Newsweek日本版 (2021年12月21日). 2023年11月30日閲覧。
- ^ “櫻井翔さんがたどった大伯父の足跡 <海軍主計少佐 桜井次男 昭和20年3月29日 東支那海にて戦死>”. 西日本新聞me. 2024年8月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 産経新聞年鑑局編『産経日本紳士録 上 第17版』、産経新聞年鑑局、1982年。