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桜井正信 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桜井 正信
生誕 1886年7月1日
日本の旗 日本 富山県西礪波郡東蟹谷村
死没 (1977-01-07) 1977年1月7日(90歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1936年
最終階級 陸軍少将
除隊後 華北洋灰社長
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桜井 正信(さくらい まさのぶ、1886年明治19年)7月1日[1] - 1977年昭和52年)1月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。華北洋灰社長。最終階級は陸軍少将。位階勲等従四位勲三等[2]

経歴

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富山県西礪波郡東蟹谷村出身[1][2]陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第28期卒業卒業[1]1923年(大正12年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、9月時点で参謀本部附であった[3]1924年(大正13年)9月時点で歩兵第74連隊大隊長に就任し[4]1926年(大正15年)2月に近衛歩兵第1連隊附となり、東京商科大学に配属された[5]1927年(昭和2年)3月からは東京商科大学附属教員養成所服務を兼ね[6]、7月に陸軍歩兵中佐に進級した[6]1929年(昭和4年)8月、参謀本部附に転じ[7]1931年(昭和6年)8月に歩兵第21連隊附となった[8]

1932年(昭和7年)4月、陸軍歩兵大佐進級と同時に浜田連隊区司令官に着任した[9]1934年(昭和9年)3月に歩兵第76連隊長(第19師団・歩兵第38旅団[10][11])に転じ[9]1935年(昭和10年)8月に近衛師団司令部附となり[1]法政大学に配属された[1]1936年(昭和11年)8月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][9]8月28日に予備役に編入された[1]

1940年(昭和15年)、華北洋灰社長に就任した[2]

脚注

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参考文献

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  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230025