サクラダ
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(桜田機械工業から転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒260-0013 千葉県千葉市中央区中央2丁目3番16号[1][2] |
設立 | 1920年4月20日 |
業種 | 金属製品 |
法人番号 | 5040001030847 |
代表者 | 破産管財人 加茂善仁[1][2] |
資本金 | 37億36百万円 |
売上高 | 109億10百万円(2010年3月期) |
純資産 | 16億01百万円(2010年3月) |
総資産 | 118億19百万円(2010年3月) |
決算期 | 3月31日 |
特記事項:2012年11月27日に1回目の破産手続開始決定。 2019年5月22日に2回目の破産手続開始決定。 本社所在地・破産管財人は1回目・2回目とも同一。 |
株式会社サクラダは、かつて千葉県に本社を置いていた橋梁メーカーである。
2012年(平成24年)11月27日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受け、2018年(平成30年)10月に破産手続結了決定を受け清算手続へ移行したが、債務超過であるとして2019年(令和元年)5月22日に東京地方裁判所から再度破産手続開始決定を受けた。2回も破産手続開始決定を受けたケースは異例のことであった[1][2]。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)4月 - 株式会社櫻田機械製造所を設立[3]。
- 1944年(昭和19年)9月 - 櫻田機械工業株式会社に社名変更。
- 1961年(昭和36年)10月 - 東京証券取引所2部に上場。
- 1989年(平成元年)9月 - 東京証券取引所1部へ指定替え。
- 1990年(平成2年)4月 - 商号を株式会社サクラダに変更。
- 1991年(平成3年)3月 - 広島新交通システム橋桁落下事故発生。
- 2010年(平成22年)12月 - 市川市二俣新町にある本社工場売却を発表。
- 2011年(平成23年)- 袖ケ浦市の川崎重工跡に工場移転。
- 2012年(平成24年)
- 2018年(平成30年)10月 - 東京地方裁判所から破産手続結了決定を受け、清算手続へ移行。
- 2019年(令和元年)5月22日 - 東京地方裁判所から再度破産手続開始決定を受けた[2]。
- 2020年(令和2年)1月17日 - 法人格消滅。
主な実績
[編集]- 千登世橋(東京都豊島区) - 1932年竣工
- 渡良瀬橋(栃木県足利市) - 1934年竣工
- 大鳴門橋(兵庫県南あわじ市、徳島県鳴門市) - 1985年竣工。松尾橋梁、駒井鐵工所、日本橋梁との共同企業体として側径間の設計・製作・塗装・輸送を実施[4]。
- かつしかハープ橋(東京都葛飾区) - 1987年竣工
- 北備讃瀬戸大橋(香川県坂出市) - 1988年竣工
- 関西国際空港連絡橋(大阪府泉佐野市) - 1991年竣工。川田・櫻田・春本・川構建設工事共同企業体としてその6区間(P22〜P25)の制作・架設を実施[5]。
- 前田森林公園橋(北海道札幌市) - 1993年竣工
脚注
[編集]- ^ a b c d “TSR速報 サクラダ”. 東京商工リサーチ (2012年11月28日). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月11日閲覧。
- ^ a b c d “倒産・動向速報記事 株式会社サクラダ”. 帝国データバンク (2019年5月29日). 2019年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月11日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ “本州四国連絡橋 大鳴門橋 補剛桁架設工事”. 宮地エンジニアリング株式会社. 2018年5月22日閲覧。
- ^ “関西国際空港連絡橋 鋼トラス橋”. 宮地エンジニアリング株式会社. 2018年5月22日閲覧。
関連項目
[編集]- 広島新交通システム橋桁落下事故 - 1991年3月14日、杜撰な工事により橋桁落下事故を起こし一般人10人を含む15人を死亡させた。その後、遺族とは示談が成立した。
- 竜崎鉄道2号蒸気機関車 (初代) - 前身の桜田鉄工所が製造したとされる日本初の純国産蒸気機関車
- 小山祐士
外部リンク
[編集]- 株式会社サクラダ - ウェイバックマシン(2012年12月16日アーカイブ分)
- ずさん工事で橋梁落下事故を起こしたサクラダがついに破産(ビジネスジャーナル)
- 広島新交通システムの橋桁落下 - 失敗知識データベース