梁一東
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梁 一東(ヤン・イルドン、朝鮮語: 양일동、1912年12月30日 - 1980年4月1日)は、朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。第3・4・5・8・10代韓国国会議員[1]。本貫は南原梁氏[2]。号は玄谷(ヒョンゴク、현곡)[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の全羅北道沃溝郡に生まれた。1930年に光州学生事件に関与して中東中学校を退校され、北京民鐸高級学校専門課程を卒業した[3]。その後は上海臨時政府に参加し、非常国民会議代議員を務めたため、治安維持法違反で3年6か月の禁固刑を受け[1]、市ヶ谷刑務所に収監された。服役2年8ヶ月後に腎病により仮釈放され、朝鮮に帰り光復まで郷里で農村運動と農民教育に従事した[3]。
解放後は朝鮮建国準備委員会に加わり、第一共和国の時は野党側の無所属国会議員として、反独裁運動の民主党と行動を共にした。5・16軍事クーデター後は、旧新民党の院内総務・政務委員を務めた。国会議員5期を務めたが、政治活動浄化法により政治活動を2回停止された。1967年に政治活動浄化法・反共法などの違反で投獄されたが病気により保釈された。1971年に新民党主流派の柳珍山と決別し、1973年に民主統一党を結成し、新民党の反体制運動に同調する第2野党の党首として活動した。同年に東京で発生した金大中拉致事件の際には参考人として取り調べを受けた[3]。
1980年4月1日、自宅にて心臓麻痺により死去した。享年68[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年6月16日閲覧。
- ^ “정복규의 한국 성씨를 찾아서36- 남원양씨(南原梁氏)” (朝鮮語). 신아일보 (2012年2月27日). 2022年6月16日閲覧。
- ^ a b c “양일동(梁一東)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “심장 마비로 오늘 새벽 梁一東(양일동) 統一黨(통일당)총재 別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1980年4月1日). 2023年10月23日閲覧。