梅津広吉
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梅津 広吉 | |
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生誕 |
1897年9月5日 日本 宮城県 |
死没 | 1959年4月20日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
梅津 広吉(うめづ こうきち、1897年(明治30年)9月5日[1] - 1959年(昭和34年)4月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1897年(明治30年)に宮城県で生まれた[1]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1940年(昭和15年)3月9日に第11師団参謀長に就任し[2]、8月1日に陸軍砲兵大佐に進級した[3]。1941年(昭和16年)4月には陸軍省兵務局馬政課長に転じた[2]。
1943年(昭和18年)12月にバンカランブランタン防衛司令官(第3航空軍)に就任し[1]、太平洋戦争に出征した[1]。1944年(昭和19年)8月に陸軍少将に進級し[3]、1945年(昭和20年)3月9日に第29軍軍政監部総務部長兼第29軍参謀(南方軍・第7方面軍)に就任して[1][4]、タイピンで終戦を迎えた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。