梅澤邦臣
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梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2006年1月23日[1])は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、原子力安全技術センター理事長、海洋科学技術センター理事長、ライフサイエンス振興財団理事長等を歴任した。
人物・経歴
[編集]東京都生まれ。1938年武蔵高等学校理科卒業。1941年北海道帝国大学理学部地質学鉱物学科卒業[2][3]。1944年商工省地質調査所技師[4]。1953年通商産業省大阪通商産業局総務部技術課長[5]。1956年工業技術院調整部業務課長[6]。
1962年科学技術庁計画局科学調査官[7]。1963年科学技術庁原子力局次長[8]。1964年科学技術庁計画局長[9]。1967年科学技術庁研究調整局長[10]。1968年科学技術庁原子力局長[11]、造船技術審議会委員[12]。
1971年科学技術事務次官[13]、国防会議幹事[14]。1983年ライフサイエンス振興財団理事長[15]。1984年海洋開発審議会委員[16]、日本原子力産業会議相談役[17]。1987年航空・電子等技術審議会委員[18]。1988年日本原子力産業会議顧問[17]。1990年勲二等旭日重光章受章[19]。2006年正四位[20]。
原子力安全技術センター会長[21]、原子力安全技術センター理事長、吉田科学技術財団理事長、泉科学技術振興財団顧問[22]、海洋科学技術センター理事長[23]、スガウェザリング技術振興財団理事[24]、天田財団理事[25]、松籟科学技術振興財団理事等も歴任した[26]。
2006年1月23日、肺炎のため死去[1]。
親族
[編集]脚註
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.101
- ^ 北海道帝国大学一覧 昭和17年
- ^ 武蔵高等学校一覧 皇紀2598年度
- ^ 官報 1944年03月10日
- ^ 経済行政要覧 昭和36年版 図書 経済行政事情調査会, 1961
- ^ 官報昭和31年本紙第8817号 655頁
- ^ 官報昭和37年本紙第10534号 59頁
- ^ 官報昭和38年本紙第11002号 13頁
- ^ 官報昭和39年本紙第11261号 20頁
- ^ 官報昭和42年本紙第12271号 20頁
- ^ 官報昭和43年本紙第12585号 11頁
- ^ 官報昭和43年本紙第12611号 19頁
- ^ 科学技術事務次官文部科学省
- ^ 官報昭和46年本紙第13357号 18頁
- ^ イフサイエンス振興財団【ジャパンライフ】
- ^ 官報昭和59年本紙第17199号 8頁
- ^ a b 梅沢邦臣氏が逝去[原子力産業新聞] 2006年2月2日 第2317号 <2面>
- ^ 官報昭和62年本紙第18001号 9頁
- ^ 平成2年5月3日 - 1990年(第1538号)一般社団法人 日本原子力産業協会
- ^ 官報平成18年本紙第4287号 11頁
- ^ 創立25周年にあたって原子力安全技術センター
- ^ 創立20周年記念誌泉科学技術振興財団
- ^ 経団連月報 32(11) 雑誌 (経済団体連合会, 1984-11)
- ^ 公益財団法人スガウェザリング技術振興財団 歴 代 役 員
- ^ 天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
- ^ 創立40周年を迎えた松籟科学技術振興財団の歩み松籟科学技術振興財団
- ^ 自警 38(8) 雑誌 警視庁警務部教養課 編 (自警会, 1956-08)
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