梶山正
梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家である。長崎県出身。福岡県宗像市育ち。福岡県立宗像高等学校卒業。
来歴
[編集]少年時代は虫が大好きで、暗記するほど昆虫図鑑ばかりを眺めていたり、昆虫の標本をたくさん作っていた[1]。
高校在学中に山岳部に所属していた[2]。
18歳の時、実家がある福岡からバイクを走らせて、大学に通い始めた友人の新生活を見に京都を訪ねる[3]。友人は山岳部に入っており、梶山も山岳部室に通っては、部員たちと一緒に登山のトレーニングに励んだ。周りにインド旅行から帰ってきたばかりの先輩がいて、彼からインドの魅力を毎日のように聞かされる[3]。福岡の大学に戻ることが無意味に思え、大学を辞める。
その後大阪で正社員として就職。19歳で京都に引っ越しをする[4]。数軒隣には後に妻(NHK衛星ハイビジョン「猫のしっぽ カエルの手 京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」に出演)になるベニシア・スタンリー・スミスが、英会話教室をしながら子供3人と暮らしていた[3]。アルバイトをしてもインド行きの資金が貯まらず、その後はステーキ店で2年間働いて資金を貯める[3]。
インドへ行きたいと想い始めて5年が経った1982年に旅立つことができ、24歳の時にヒマラヤに登山後は、インド各地とネパールの山村を歩き回った[3]。ある日、2人の日本人僧侶から「日本で一緒にインドカレー屋を始めないか」と誘われる。1ヶ月後に会う約束をして、ニューデリーで再会する[3]。
帰国後は京都・岩倉の学生アパートでインド料理店を営み(後に店は京都大学の近くに移転した)[4]、店の客としてベニシアも訪れている。
1992年にベニシアと結婚。1996年6月から妻、息子と京都の大原に移住する[5][6]。
山岳写真を専門で雑誌などに掲載しているが、最近では妻であるベニシアのハーブ・ガーデニングや、里山暮らしに関する著書の写真・翻訳も手掛けている。
人物
[編集]妻のベニシアは前夫との間に娘2人・息子1人[5]。梶山との間に息子1人いる[5]。
父、母、姉、弟が2人いる[7]。
著書
[編集]- 『ベニシアのハーブ便り 京都・大原の古民家暮らし』(2007年、世界文化社)
- 『ベニシアの京都里山日記 大原で出逢った宝物たち』(2009年、世界文化社)
- 『ベニシアの京都里山暮らし 大原に安住の地を求めて』(2009年、世界文化社)
- 『猫のしっぽカエルの手 ベニシアの手づくり暮らし 春・夏編』(2010年、世界文化社)
- 『猫のしっぽカエルの手 ベニシアの手づくり暮らし 秋・冬編』(2010年、世界文化社)
- 『ポケット図鑑 日本アルプスの高山植物』(2015年、家の光協会)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|最終話 日本一小さなトンボを見に行く”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第十五話 自然との一体感を求めて山に登る”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第七話 自分を変えようと、インドへ旅立つ”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ a b 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第四話 棲家が落ち着くと、僕は再び山へ登り始めた”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ a b c 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第一話 ようやく見つけた終の棲家”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第二話 古民家暮らしが始まった”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
- ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第十七話 母に見せてあげたい、お花畑広がる伊吹山。”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。