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梶山正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家である。長崎県出身。福岡県宗像市育ち。福岡県立宗像高等学校卒業。

来歴

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少年時代はが大好きで、暗記するほど昆虫図鑑ばかりを眺めていたり、昆虫の標本をたくさん作っていた[1]

高校在学中に山岳部に所属していた[2]

18歳の時、実家がある福岡からバイクを走らせて、大学に通い始めた友人の新生活を見に京都を訪ねる[3]。友人は山岳部に入っており、梶山も山岳部室に通っては、部員たちと一緒に登山のトレーニングに励んだ。周りにインド旅行から帰ってきたばかりの先輩がいて、彼からインドの魅力を毎日のように聞かされる[3]。福岡の大学に戻ることが無意味に思え、大学を辞める。

その後大阪正社員として就職。19歳で京都に引っ越しをする[4]。数軒隣には後に妻(NHK衛星ハイビジョン猫のしっぽ カエルの手 京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」に出演)になるベニシア・スタンリー・スミスが、英会話教室をしながら子供3人と暮らしていた[3]。アルバイトをしてもインド行きの資金が貯まらず、その後はステーキ店で2年間働いて資金を貯める[3]

インドへ行きたいと想い始めて5年が経った1982年に旅立つことができ、24歳の時にヒマラヤに登山後は、インド各地とネパールの山村を歩き回った[3]。ある日、2人の日本人僧侶から「日本で一緒にインドカレー屋を始めないか」と誘われる。1ヶ月後に会う約束をして、ニューデリーで再会する[3]

帰国後は京都岩倉の学生アパートでインド料理店を営み(後に店は京都大学の近くに移転した)[4]、店の客としてベニシアも訪れている。

1992年にベニシアと結婚。1996年6月から妻、息子と京都の大原に移住する[5][6]

山岳写真を専門で雑誌などに掲載しているが、最近では妻であるベニシアのハーブガーデニングや、里山暮らしに関する著書の写真翻訳も手掛けている。

人物

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妻のベニシアは前夫との間に娘2人・息子1人[5]。梶山との間に息子1人いる[5]

父、母、姉、弟が2人いる[7]

著書

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  • 『ベニシアのハーブ便り 京都・大原の古民家暮らし』(2007年世界文化社
  • 『ベニシアの京都里山日記 大原で出逢った宝物たち』(2009年、世界文化社)
  • 『ベニシアの京都里山暮らし 大原に安住の地を求めて』(2009年、世界文化社)
  • 『猫のしっぽカエルの手 ベニシアの手づくり暮らし 春・夏編』(2010年、世界文化社)
  • 『猫のしっぽカエルの手 ベニシアの手づくり暮らし 秋・冬編』(2010年、世界文化社)
  • 『ポケット図鑑 日本アルプスの高山植物』(2015年家の光協会

脚注

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出典

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  1. ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|最終話 日本一小さなトンボを見に行く”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  2. ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第十五話 自然との一体感を求めて山に登る”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第七話 自分を変えようと、インドへ旅立つ”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  4. ^ a b 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第四話 棲家が落ち着くと、僕は再び山へ登り始めた”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  5. ^ a b c 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第一話 ようやく見つけた終の棲家”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  6. ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第二話 古民家暮らしが始まった”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。
  7. ^ 梶原正. “梶山正「京都大原で暮らす」|第十七話 母に見せてあげたい、お花畑広がる伊吹山。”. 株式会社 石見銀山生活文化研究所. 2023年7月6日閲覧。

外部リンク

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