梶野悳三
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梶野 悳三 | |
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誕生 |
梶野 正義 1901年1月29日 日本・新潟県岩船郡村上町(現・村上市) |
死没 | 1984年4月1日(83歳没) |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人(大和民族) |
活動期間 | 1933年 - 1984年 |
親族 | 孫:梶野竜太郎(映画監督) |
梶野 悳三(かじの とくぞう[1][2]、1901年1月29日[1][2][3] - 1984年4月1日[1][2])は、昭和期日本の小説家。
来歴
[編集]新潟県[1][2][3]岩船郡村上町(現在の村上市)生まれ。本名・正義[1][2][3]。幼児期に北海道に移住。1921年に横須賀海兵団に入り、水兵となる[1][3]。海軍三等主計兵曹であった[3]。柔道に励んで四段となる[1]。退団後、柔道知識を生かして梶野千万騎(かじの ちまき)の筆名で「試合もの」の小説を書き始める[1]。1933年、山手樹一郎らと『大衆文学』を創刊[1][3]。長谷川伸の新鷹会に加入後、悳三に改名[1][3]。
1930年代後半から海洋文学、とくに捕鯨船員の生活などを描いた長編を手掛けるようになり、「俺は水兵」「鯨の町」などの作品を発表する[3]。
1946年、自身が少年期を過ごした北海道天塩の鰊漁場を描いた「鰊漁場」(『大衆文芸』1947年6月号)で大衆雑誌懇話会賞を受賞[1][2][3]。1950年「金剛童子」で第24回直木賞候補、1952年「防波堤」で第27回直木賞候補[2]。「鰊漁場」は「ジャコ万と鉄」として1949年に谷口千吉監督、黒澤明、谷口千吉脚色、三船敏郎、月形龍之介主演、1964年にも深作欣二監督、高倉健、丹波哲郎主演で再映画化され、小説も改題された[3]。
著書
[編集]- 『海の戦友』好文館 1941
- 『黒潮日記』童話春秋社 1942 ※梶野正義名義
- 『日米短艇競漕』童話春秋社 1942 ※梶野正義名義
- 『鯨の町』錦城出版社 1943 「海の野獣」(改題) 春陽文庫 1955
- 『海の男』春陽堂書店 1943
- 『海底戦士』金鈴社 1944
- 『ジャコ萬と鉄』寳文館 1948
- 『海の怪獣』春江堂 1948
- 『黒潮にいどむ少年漁夫』泰光堂 1949
- 『幽霊船』偕成社 1949
- 『坊ちやん教師』新小説社(新小説文庫)1951
- 『港へ来た男』春陽文庫 1953
- 『東尋坊の鬼』豊文社 1954
- 『風雲講道館』豊文社 1954
- 『講道館の鬼』同人社 1956
- 『講道館の五人男』同人社 1956
- 『南極の野獣』同人社 1957
- 『青春講道館』同人社 1957
- 『水兵物語』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)1957
- 『港の野郎ども』同人社 1958
- 『花の旋風』同人社 1958
- 『北海の竜虎』桃源社 1958
- 『最低野郎』和同出版社 1958
- 『講道館の小天狗』同人社 1958
- 『美人島征服』桃源社 1959
- 『鷲は見ていた』青樹社 1962
- 『吾一の一ばん銛』講談社 1975 ※梶野正義名義
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆文学大系〈30)』(講談社、1973年)
- 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
- 『「少年倶楽部」短篇選』(講談社、2013年)