コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

梶野悳三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梶野 悳三
誕生 梶野 正義
1901年1月29日
日本の旗 日本・新潟県岩船郡村上町(現・村上市)
死没 (1984-04-01) 1984年4月1日(83歳没)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人(大和民族)
活動期間 1933年 - 1984年
親族 孫:梶野竜太郎(映画監督)
テンプレートを表示

梶野 悳三(かじの とくぞう[1][2]1901年1月29日[1][2][3] - 1984年4月1日[1][2])は、昭和期日本の小説家

来歴

[編集]

新潟県[1][2][3]岩船郡村上町(現在の村上市)生まれ。本名・正義[1][2][3]。幼児期に北海道に移住。1921年に横須賀海兵団に入り、水兵となる[1][3]海軍三等主計兵曹であった[3]柔道に励んで四段となる[1]。退団後、柔道知識を生かして梶野千万騎(かじの ちまき)の筆名で「試合もの」の小説を書き始める[1]。1933年、山手樹一郎らと『大衆文学』を創刊[1][3]長谷川伸新鷹会に加入後、悳三に改名[1][3]

1930年代後半から海洋文学、とくに捕鯨船員の生活などを描いた長編を手掛けるようになり、「俺は水兵」「鯨の町」などの作品を発表する[3]

1946年、自身が少年期を過ごした北海道天塩漁場を描いた「鰊漁場」(『大衆文芸』1947年6月号)で大衆雑誌懇話会賞を受賞[1][2][3]。1950年「金剛童子」で第24回直木賞候補、1952年「防波堤」で第27回直木賞候補[2]。「鰊漁場」は「ジャコ万と鉄」として1949年に谷口千吉監督、黒澤明、谷口千吉脚色、三船敏郎月形龍之介主演、1964年にも深作欣二監督、高倉健丹波哲郎主演で再映画化され、小説も改題された[3]

映画監督梶野竜太郎は孫。

著書

[編集]
  • 『海の戦友』好文館 1941
  • 『黒潮日記』童話春秋社 1942 ※梶野正義名義
  • 『日米短艇競漕』童話春秋社 1942 ※梶野正義名義
  • 『鯨の町』錦城出版社 1943 「海の野獣」(改題) 春陽文庫 1955
  • 『海の男』春陽堂書店 1943
  • 『海底戦士』金鈴社 1944
  • 『ジャコ萬と鉄』寳文館 1948
  • 『海の怪獣』春江堂 1948
  • 『黒潮にいどむ少年漁夫』泰光堂 1949
  • 『幽霊船』偕成社 1949
  • 『坊ちやん教師』新小説社(新小説文庫)1951
  • 『港へ来た男』春陽文庫 1953
  • 『東尋坊の鬼』豊文社 1954
  • 『風雲講道館』豊文社 1954
  • 『講道館の鬼』同人社 1956
  • 『講道館の五人男』同人社 1956
  • 『南極の野獣』同人社 1957
  • 『青春講道館』同人社 1957
  • 『水兵物語』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)1957
  • 『港の野郎ども』同人社 1958
  • 『花の旋風』同人社 1958
  • 『北海の竜虎』桃源社 1958
  • 『最低野郎』和同出版社 1958
  • 『講道館の小天狗』同人社 1958
  • 『美人島征服』桃源社 1959
  • 『鷲は見ていた』青樹社 1962
  • 『吾一の一ばん銛』講談社 1975 ※梶野正義名義

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本人名大辞典』、「梶野悳三」の項目
  2. ^ a b c d e f g 『「少年倶楽部」短篇選『、「梶野悳三」の項目
  3. ^ a b c d e f g h i j 『大衆文学大系〈30)』、「梶野悳三」の項目

参考文献

[編集]
  • 『大衆文学大系〈30)』(講談社、1973年)
  • 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
  • 『「少年倶楽部」短篇選』(講談社、2013年)