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棗拠(棗據、そう きょ、生没年不詳)は、中国の晋代の文人・官僚。字は道彦。本貫は潁川郡長社県。
魏の鉅鹿太守の棗叔禕の子として生まれた。容貌が美しく、文辞を得意とした。弱冠にして大将軍府に召し出され、山陽県令として出向して、統治の成績を挙げた。尚書郎となり、尚書右丞に転じた。賈充が呉を討つにあたって、棗拠はその下で従事中郎となった。凱旋すると、黄門侍郎・冀州刺史・太子中庶子に転じた。太康年間に死去した。享年は50余歳。生前に著した詩・賦・論45首は、戦乱のために多くが亡失した。
- 棗腆(字は玄方、永嘉年間に襄城郡太守)
- 棗嵩(字は台産、太子中庶子・散騎常侍、石勒に殺された)