森下彰子
表示
もりした あやこ 森下 彰子 | |
---|---|
生年月日 | 1922年6月1日 |
没年月日 | 1945年8月6日(23歳没) |
出生地 | 東京府東京市四谷区 |
死没地 | 広島県広島市 |
職業 | 女優 |
配偶者 | 川村禾門 |
所属劇団 | 桜隊 |
森下 彰子(もりした あやこ、1922年6月1日 - 1945年8月6日)は、日本の女優。
生涯
[編集]東京都・四谷生まれ。成女高等女学校中退後、日活多摩川(その後大映)に入社。
同僚の俳優・川村禾門と恋におち結婚。彼の朝鮮への出征後も、頻繁な文通をかわした。
映画『青空交響楽』(1943年、大映)、『ベンガルの嵐』(1944年、大映)などに出演後、女優仲間の町田博子らとともに芸能挺身隊として、その後日本移動演劇連盟が結成されると、丸山定夫率いる劇団「苦楽座」(後の桜隊)の団員として各地で慰問活動を行う[1]。1945年7月、島根県巡業中に夫への最後の手紙となる45通目を投函。
1945年8月6日、同劇団の疎開先である広島市で被爆死した(家屋倒壊による即死と見られる)[2]。
2008年、NHKにて『ハイビジョン特集 戦後60年関連 ヒロシマ・戦禍の“恋文” 女優 森下彰子の被爆』が放送された。
脚注
[編集]- ^ “検索結果”. 一般社団法人日本映画製作者連盟. 2014年10月27日閲覧。
- ^ “移動劇団桜隊の原爆忌に参加して”. ちきゅう座 (2013年8月10日). 2014年10月11日閲覧。
関連項目
[編集]関連文献
[編集]- 新藤兼人 『さくら隊8月6日;広島で被爆した若き新劇人たち』 岩波ブックレット、1988年 ISBN 400003054X
- 堀川惠子 『戦禍に生きた演劇人たち;演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』 講談社、2017年 ISBN 9784062207027
- 前記の「ハイビジョン特集」をベースとしており、八田の伝記を中心とする戦前・戦後の新劇史であるが、森下と川村の恋文の交換も中心的エピソードの一つとして扱われている。
- 『彷書月刊』第14巻第8号(1998年8月号)「特集;劇団『さくら隊』原爆忌」
外部リンク
[編集]- “さくら隊散る”. 新藤兼人監督の軌跡. 2014年10月27日閲覧。
- “移動演劇 桜隊 を知っていますか?”. 桜隊原爆忌の会. 2014年10月27日閲覧。