森山季定
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文15年(1546年) |
官位 | 飛騨守 |
主君 | 安東尋季 |
氏族 | 森山氏 |
森山 季定(もりやま すえさだ)は、戦国時代の武将。下国(檜山)安東氏の家臣。陸奥国森山館主。
略歴
[編集]森山氏は安東氏の庶流。
陸奥津軽深浦郷[1]森山館主であった季定は、天文15年(1546年)、安東尋季に謀叛を起こし森山館に籠城するが、攻め寄せた尋季と、増援に来た蝦夷の被官蠣崎季広に館を包囲され落城、季定は自害した。
出羽国河北郡深浦森山の館主の飛騨弾守季定が1546年(天文15年)春に安東氏に背いて討たれたという記録が、松前藩の歴史書『新羅之記録 』にある。
飛騨季定(ひだすえたか)が謀反を起こすと、これに檜山城より安東尋季[2]親子が押し寄せて来た。蠣崎季広は搦手の大将として参加する、急の飛脚が告げられてきた。季広は人数をそろえ、船に乗り連ね小泊に渡り、3月5日には森山に到着した。同15日、館の内より水桶を担いで出入りする者を見て、遥かに館の麓からこれを射つと、矢は当たり後ろから胸板を射通した。森山の館は程なくして落城した。生け捕られた者どもから「館内には水が無く、敵方に悟られない様にと水を汲む真似をしていたところ、射殺された 」と聞いた。敵方の落城はこれが原因であったという。季広の朝臣の矢一つによって、飛騨季定を自害に追い込んだのである。この弓は細い竹を組み合わせた細箔[3]という[4]。