森峰一
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森 峰一(もり みねいち、1883年(明治16年)12月5日[1] - 1950年(昭和25年)10月2日[2][3])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]佐賀県[3]西松浦郡新村(有田村[4][5]、東有田町を経て現:有田町)で、森友次郎の二男として生まれる[6]。麻布中学校[注釈 1]で学んだ[2][3]。清国天津で中国語を学んだ[3][4][5][6]。
天津で商業を営み、南満州安東県(現:遼寧省東港市)で貿易、鉱山業(青城子鉱山[7])を経営した[2][3][4][5][6]。その後、佐賀県西松浦郡有田町で陶磁器製造業を営み森製陶社長に就任した[2][3][6]。
1928年(昭和3年)2月、第16回衆議院議員総選挙に佐賀県第2区から立憲民政党公認で出馬して初当選[6][8]。以後、第18回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[2][3][4]。この間、国民同盟の趣旨に賛同して入党した[5]。
国政選挙歴
[編集]- 第15回衆議院議員総選挙(佐賀県第5区、1924年5月、憲政会公認)次点落選[9]
- 第16回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1928年2月、立憲民政党公認)当選[8]
- 第17回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1930年2月、立憲民政党公認)当選[10]
- 第18回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1932年2月、立憲民政党公認)当選[11]
- 第19回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1936年2月、国民同盟公認)落選[12]
- 第21回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1942年4月、翼賛政治体制協議会非推薦)落選[13]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第12版下』モ34頁では早稲田第一高等学院(現:早稲田大学高等学院・中学部)。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、32頁。
- ^ a b c d e 「森峯一」『佐賀県大百科事典』805頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』652頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』458頁。
- ^ a b c d 『国民同盟陣営展望』91-94頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第12版下』モ34頁。
- ^ 『普選議会の重なる人々』34-35頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』511頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』33頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第17回』561頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第18回』527頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』569頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』531頁。
参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 角屋謹一『普選議会の重なる人々:政界人物評伝 野党の巻』文王社、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第17回』衆議院事務局、1930年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第18回』衆議院事務局、1932年。
- 森岩吉『国民同盟陣営展望』政界評論社、1934年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版下』人事興信所、1940年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。