森本兎久身
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森本 兎久身(もりもと とくみ、Morimoto Tokumi)は、日本の海軍大佐。武道師範。無双直伝英信流居合術の達人[1]。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]高知県に生まれる。
居合は無双直伝英信流第16代宗家・五藤孫兵衛正亮に師事しこれを修行した[2]。
明治30年(1897年)、五藤正亮の允許を得て上京。有信館の門を叩く。師範根岸信五郎は、森本の居合を見て「海内無雙也」と激賞した[3]。
軍人として
[編集]明治33年(1900年)12月13日、海軍兵学校を卒業。(第28期生) 同日、海軍少尉候補生となる[4]。
明治43年(1910年)12月1日、海軍少佐。伊吹水雷長[4]。
大正元年(1912年)12月1日、佐世保予備艦隊副官、舞鶴水雷隊参謀[4]。
大正3年(1914年)12月28日、第12駆逐隊司令心得[4]。
大正4年(1915年)12月13日、海軍中佐。第3駆逐隊司令兼水雷学校教官[4]。
大正6年(1917年)12月1日、横須賀工廠造兵部員兼検査官兼技術本部技術会議員[4]。
大正8年(1919年)11月20日より翌年11月15日まで、防護巡洋艦秋津洲艦長[4]。
大正9年(1920年)11月20日、装甲巡洋艦「阿蘇」艦長。
大正9年(1922年)7月1日より11月10日まで、巡洋戦艦「生駒」艦長[4]。
居合師範として
[編集]本業の傍ら武芸鍛錬を怠らず、居合を指導した[2]。門下生には竹村静夫や、夢想神伝流を開いた中山博道らがいる[2]。
補註
[編集]参考文献
[編集]- 『無雙直傳英信流居合に就て』中西岩樹著(所収『土佐史談』第43号)
- 『英信流居合と板垣伯』岡林九敏著(所収『土佐史談』第15号) 1926年(大正15年)
- 『板垣退助と英信流』広谷喜十郎著(所収『高知市広報 あかるいまち』2007年7月号)
- 『近代世界艦船事典』
- 『三菱武道会百年史』
- 『板垣精神』一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 編纂、2019年、ISBN 978-4-86522-183-1 C0023