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森本兎久身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森本 兎久身(もりもと とくみ、Morimoto Tokumi)は、日本海軍大佐武道師範無双直伝英信流居合術の達人[1]

来歴

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生い立ち

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高知県に生まれる。

居合無双直伝英信流第16代宗家・五藤孫兵衛正亮に師事しこれを修行した[2]

明治30年(1897年)、五藤正亮の允許を得て上京。有信館の門を叩く。師範根岸信五郎は、森本の居合を見て「海内無雙也」と激賞した[3]

軍人として

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明治33年(1900年)12月13日海軍兵学校を卒業。(第28期生) 同日、海軍少尉候補生となる[4]

明治35年(1902年)1月18日、海軍少尉

明治36年(1903年)9月26日、海軍中尉[4]

明治38年(1905年)1月12日、海軍大尉

明治43年(1910年)12月1日、海軍少佐。伊吹水雷長[4]

大正元年(1912年)12月1日、佐世保予備艦隊副官、舞鶴水雷隊参謀[4]

大正2年(1913年)12月1日、横須賀鎮守府副官。

大正3年(1914年)12月28日、第12駆逐隊司令心得[4]

大正4年(1915年)12月13日、海軍中佐。第3駆逐隊司令兼水雷学校教官[4]

大正5年(1916年)5月23日、第17駆逐隊司令。

大正6年(1917年)12月1日、横須賀工廠造兵部員兼検査官兼技術本部技術会議員[4]

大正8年(1919年)11月20日より翌年11月15日まで、防護巡洋艦秋津洲艦長[4]

大正8年(1919年)12月1日、海軍大佐

大正9年(1920年)11月20日、装甲巡洋艦「阿蘇」艦長。

大正9年(1922年)7月1日より11月10日まで、巡洋戦艦「生駒」艦長[4]

大正10年(1923年)4月1日、予備役。

居合師範として

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本業の傍ら武芸鍛錬を怠らず、居合を指導した[2]。門下生には竹村静夫や、夢想神伝流を開いた中山博道らがいる[2]

補註

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  1. ^ 『板垣精神 -明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念-』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年9月1日閲覧。
  2. ^ a b c 『無雙直傳英信流居合に就て』中西岩樹著(所収『土佐史談』第43号)
  3. ^ 『高知日日新聞』1936年(昭和11年)7月24日
  4. ^ a b c d e f g h i 『近代世界艦船事典』

参考文献

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