森脇忠
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森脇 忠(もりわき ただし、1888年(明治21年)3月3日 - 1949年(昭和24年)10月13日)は、日本の洋画家である[1][2]。
経歴・人物
[編集]島根県に生まれ[1][2]、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学する[1][2]。1914年(大正3年)に卒業後は同年に自身の作品が文展に初入選され[1][2]、以後官展にも出品を続けた[1][2]。1920年(大正9年)には第三高等学校(現在の京都大学)にて教鞭を執り[1][2]、1941年(昭和16年)までその職にあたった[1][2]。また勤務中の1920年および1922年(大正11年)には帝展に出品され特選となり[1][2]、1924年(大正13年)には京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の講師も務めた[2]。
その後は中沢弘光に師事し[1][2]、彼の作風に影響を受け室内や風景をシチュエーションとした裸婦画をよくし[2]、油彩による日本風俗の表現を試みた作品の制作に携わる[2]。1940年(昭和15年)には華畝美術協会の設立にも携わった[2]。
受賞歴
[編集]- 3等賞(1915年)
- 帝展特選(1920年、1922年)
主な作品
[編集]- 『洋館の女』- この作品で1914年に開催された文展に入選[2]。
- 『鏡の前』- この作品で1915年(大正4年)に開催された文展にて3等賞受賞[2]。
- 『池の畔』- この作品で1920年に開催された帝展にて特選となった[2]。
- 『女の裸体』- この作品で1922年に開催された帝展にて特選となった[2]。