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森順子 (拉致実行犯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 順子(もり よりこ)
生誕 (1953-05-12) 1953年5月12日(71歳)
日本の旗 日本
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
別名 コジマ・アサコ[1][注釈 1]
罪名 石岡亨拉致事件
松木薫拉致事件
犯罪者現況 国際手配
配偶者 田宮高麿(たみや たかまろ)
子供 長女
長男
次男
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森 順子(もり よりこ、1953年昭和28年)5月12日 - )は、よど号グループのメンバー。夫はグループの最高指導者であった田宮高麿。日本生まれの在日朝鮮人朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市三石区域在住。

人物・略歴

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1953年昭和28年)5月生まれ。父は在日朝鮮人、母は日本人。1977年11月、父親の遺骨を祖国の土に還してあげたいと北朝鮮へ渡り、関心があったよど号ハイジャック事件(1970年3月31日)のメンバーたちに会いたいと平壌滞在中に希望を出し、主犯格で「よど号グループ」(日本革命村)のリーダー田宮高麿と面会、翌年5月に結婚した[2]。身長は163センチメートル[3]

1980年(昭和55年)、夫で「よど号グループ」のリーダー田宮高麿の命令で、若林盛亮の妻若林佐喜子とともに日本人男性2名の拉致犯罪にかかわった[4][注釈 2]。1人は日本大学学生だった石岡亨(当時22歳)であり、大学卒業前、アルバイトで知り合った東京の同年代の男性と二人旅に出かけ、1980年3月、スペインバルセロナ動物園へ行き、そこでバルセロナのテルミノ駅で声をかけてきた森順子、若林佐喜子と一緒に3人で写真を撮った[5]。男性と石岡は、フランスリヨンで1か月後に会う約束をして別れた[5]。しかし、石岡はリヨンには現れなかった[5]。4月、森と若林はマドリードを拉致工作の拠点として活動を始め、5月にはマドリード市内にアパートを借りた[6]。石岡ともう1人の旅行者、京都外国語大学大学院生だった熊本市出身の松木薫(当時26歳)がそこに入り浸っており、さらに関西地方から姉妹で旅行していた2人もこれに加わり、森と若林とつくる手料理を食べて4人でトランプなどを行い、夜はそれぞれ自分のホテルに戻るような生活を送った[6]。旅行者たちのうち姉妹連れは森順子から6人一緒のウィーン旅行を誘われたが断った[6]。石岡と松木はウィーンから共産圏経由で北朝鮮に拉致されたものと考えられる[7]。なお、石岡亨が所持していた日本旅券は北朝鮮の工作機関によって偽造パスポートの原本に利用され、同じ発効日で番号の異なる偽造旅券が北朝鮮工作員、「よど号グループ」の柴田泰弘日本赤軍戸平和夫が使用していたことが確認されている。松木薫、石岡亨、いずれも偽計による拉致であるが、どこから強制性がはたらいたかは不明である[8]。松木には将来を誓った女性が日本にいて欧州滞在中も手紙のやりとりをしており、石岡は日本でパン作りをするという目的があっての旅であり、社会主義思想や北朝鮮という国家に特に興味や思い入れがあるわけではなかった。

1995年11月30日、前日まで元気だった夫の田宮が急死し、古くからの知人である高沢皓司は、この死に不審を持っている[4][注釈 3]

よど号メンバーが続々と帰国するなか、2006年2月、松木の姉によって逮捕監禁容疑で警視庁公安部に森順子と若林佐喜子に対する告発状が出され、受理された。さらに、2007年6月、森と若林は、欧州における日本人男性拉致事件の実行犯として警視庁公安部より結婚目的誘拐の容疑で逮捕状が出され、国際手配がなされた[9]。日本政府は、北朝鮮に対し、両名の所在の確認と身柄の引き渡しを求めている[9]

子どもたち

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  • 田宮高麿と森順子の間には3人の子供がおり、2001年5月に長女(当時22歳)が、2004年1月に長男(当時20歳)が、2004年9月に次男(当時16歳)が日本に帰国している。
  • 長男は1983年、北朝鮮生まれ[10]。平壌直轄市三石区域元新里の「日本革命村」で毎朝「10の誓い」を唱えて育った[10]。2011年4月に三鷹市議会議員選挙に市民の党から立候補(落選)[10][11][12][注釈 4]
  • 日本革命村で毎朝唱える「10の誓い」は、以下のような内容であった[12]
  1. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の革命思想で日本を金日成主義化するため青春も生命も捧げて闘うことを誓います。
  2. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志を忠誠の一心を持って高く仰ぎ戴くことを誓います。
  3. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の権威と威信を絶対化し、首領様を擁護、防衛するために親衛隊、突撃隊、決死隊になることを誓います。
  4. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の革命思想を信念化し、首領様の教示を信条化し日本革命勝利のため、社会主義・共産主義偉業のため最後の血の一滴まで捧げて闘うことを誓います。
  5. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の教示と親愛なる指導者金正日同志の教えを無条件、徹底して遂行し、任務を貫徹することを誓います。
  6. 我々日本革命家は、日本革命の指導者である田宮同志を中心とする全党の思想的意思統一と革命的団結を強化することを誓います。
  7. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志に学び、共産主義的風貌と革命的活動方法、人民的活動作風を所有、体得していくことを誓います。
  8. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志から授かった政治的生命を大切に守り、首領様の高い政治的信任と配慮に高い政治的自覚によって、忠誠心で応えていくことを誓います。
  9. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志の唯一的指導の下に、組織の秘密を命懸けで守りながら活動することを誓います。
  10. 我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の導きの下、日本革命の偉業を代を継いで最後まで継承し完成させていくことを誓います[12]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「日本革命村」では、互いに本名を呼ばず、周囲からは「コジマ同志」と呼ばれた[1]
  2. ^ 高沢皓司は、「よど号」関係者から、ヨーロッパで10人以上の日本人を拉致したと聞いている[4]
  3. ^ 高沢は、よど号グループとは有本恵子ら日本人留学生の件で拉致との関わりについて真相を求め、田宮と激論を交わした[4]。「彼らをすぐに日本に返すべきだ」と主張する高沢に対し、田宮は「難しい問題だが、努力する」と答えている[4]
  4. ^ 産経新聞は2011年7月、この「市民の党」と関係の深い神奈川県相模原市の政治団体「政権交代をめざす市民の会」に、民主党菅直人総理大臣(当時)の資金管理団体「草志会」から多額の献金が渡っていたことを報じたが、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者家族からは「政治家がやることとは思えない」「即刻(首相を)辞めてくださいと言いたい」といった強い怒りの声が上がった[11]

出典

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  1. ^ a b 高世(2002)pp.237-238
  2. ^ 「実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実」伊藤孝司(現代ビジネス 2020年3月28日)
  3. ^ 国際手配中のよど号グループ”. 国際手配. 岐阜県警察. 2021年11月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e 石高(1997)pp.228-230
  5. ^ a b c 石高(1997)pp.212-215
  6. ^ a b c 石高(1997)pp.216-219
  7. ^ よど号グループ家族6人全員帰国へ 2人は拉致関与疑惑”. asahi.com ニュース特集:【北朝鮮拉致事件】. 朝日新聞社 (2005年1月6日). 2021年11月19日閲覧。
  8. ^ 荒木(2005)pp.195-197
  9. ^ a b 欧州における日本人男性拉致容疑事案”. 北朝鮮による拉致容疑事案について. 警察庁. 2021年11月19日閲覧。
  10. ^ a b c “【正論】東京基督教大学教授・西岡力 首相献金が浮かび上がらせた闇 (3/4)”. 産経新聞. (2011年7月20日). オリジナルの2011年12月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111224150209/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110720/plc11072002490002-n3.htm 2021年11月19日閲覧。 
  11. ^ a b 「北朝鮮」と菅「献金」の深い闇”. ニューズウィーク日本版. Newsweek (2011年7月15日). 2021年11月19日閲覧。
  12. ^ a b c よど号犯による拉致事件を考える-東京連続集会報告2”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2013年6月24日). 2021年11月19日閲覧。

参考文献

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  • 荒木和博『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版、2005年2月。ISBN 4-585-05322-0 
  • 石高健次『これでもシラを切るのか北朝鮮』光文社〈カッパブックス〉、1997年11月。ISBN 978-4334006068 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • NHK報道局「よど号と拉致」取材班『よど号と拉致』日本放送出版協会、2004年6月。ISBN 4-14-080855-1 

外部リンク

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