植村正朝
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文10年(1670年) |
死没 | 享保14年10月27日(1729年12月17日) |
戒名 | 真容院殿実誉道恵大居士 |
墓所 | 東京都文京区の無量院 |
官位 | 従五位下、土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 大番頭、大坂定番 |
藩 | 上総勝浦藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村忠朝 |
兄弟 | 正朝、忠元 |
妻 | 正室:酒井忠義の娘 |
子 |
恒朝、尚朝(五男)、 娘(最上義隆正室のち鳥居忠余室)、 娘(小笠原長恒正室) |
植村 正朝(うえむら まさとも)は、上総勝浦藩の第2代藩主。忠朝系植村家2代。
生涯
[編集]寛文10年(1670年)、初代藩主植村忠朝の三男として生まれる。長兄が病弱、また次兄が早世したために世子として指名され、元禄9年(1696年)8月、徳川綱吉の小姓となる。同年11月に父が死去したため、元禄10年(1697年)2月10日に家督を継いだ。このとき、弟の忠元に丹波氷上郡1000石を分与したため、石高は1万石となる。宝永6年(1709年)3月、従五位下、土佐守に叙任する。
享保8年(1723年)5月、大番頭に任じられ、享保11年(1726年)には下総国小金原で行われた将軍徳川吉宗の鹿狩りに従う。享保13年(1728年)8月には大坂定番に任じられたが、在任中の享保14年(1729年)10月27日に大坂で死去した。享年60。
跡を次男の恒朝が継いだ。