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植物の権利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

植物の権利(しょくぶつのけんり、英語:Plant rights)とは植物が持つ権利である。このような論点はしばしば動物の権利生命中心主義英語版に関連して上げられる。

思想

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動物の権利は植物にまで拡張しうるかどうかの疑問に関して、哲学者のトム・リーガンは、動物には彼が「生命の主題 (subjects-of-a-life) 」と称する意識があるため、権利を保有していると主張している。彼は、これは植物には適用できず、たとえ植物に権利があったとしても、動物を飼育するのに植物を使用するのだから、それでも肉を食べるのを控えることは道徳的であると主張している[1]。哲学者のマイケル・マーダーによると、植物には権利があるはずだとする考えは「植物の主観性」に由来し、人間の人格とは区別されるものだという[2][3][4][5][6]。哲学者のポール・テイラー英語版はすべての命に内在的価値英語版があると考え、植物への尊重を論じているが、植物に権利を認めてはいない[7]調査ジャーナリストI・F・ストーン英語版の息子、クリスティファー・D・ストーンは「樹木の当事者適格(原題:Should Trees Have Standing?)」と題された1972年の論文で法人に権利があるなら、樹木のような自然のものも同様であるべきだと唱えた[8][9]

イギリスの作家サミュエル・バトラーは自著エレホンにおいて「野菜の権利に関連するエレホン人の哲学者の視点」なる1章を載せた[10]

倫理と道徳

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直接「権利」と訴えないものの、マシュー・ホールは植物は人間の道徳的考慮範囲内に含まれるべきだと主張した。彼の『人格としての植物:哲学的植物学(原題:Plants as Persons: A Philosophical Botany)』では西洋哲学における植物の道徳的背景を議論し、これを土着の文化含む他の慣例と対照しており、植物を尊重と配慮を受けるにふさわしい、人間的活動を行う知的な存在であると認識している[11]。ホールは「植物は自己と非自己の認識を含む複雑かつ適応性のある振る舞いができる、自発的で知覚的な有機物だ」とある植物神経生物学英語版に基づく主張で植物の倫理的配慮を求める声を後押しした。

科学的論争

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植物生理学の研究において、植物は環境の変化を認識するメカニズムを持っていると理解されている。この植物の知覚の定義は、同じく植物の知覚 (超常的)英語版とも呼ばれる、植物には感情を生じる能力があるという考えとは別のものである。植物の知性に加え、この後の構想は、ドイツの実験心理学者グスタフ・フェヒナーが植物は感情を持ち、その一つは会話や気配り、愛情で健康な成長を促進できたと示唆した1848年まで辿ることができる[12]

2008年、人間以外のバイオテクノロジーに関するスイスの非ヒトバイオテクノロジーのための連邦倫理委員会英語版は、植物に対する生物の尊厳(The dignity of living beings with regard to plants)について科学的データを分析と議論をした。結果としては、委員会の満場一致で、植物への恣意的な害は道徳的に許されないとし、また、多くの委員は道徳的理由から植物の全てを欲望のままに扱うとこはできないとし、少数の委員は植物の扱いに制限はないとした。一方、多くの委員は植物を人間の自己保存のために利用することは適切であり、予防措置の原則に従う限り、道徳的に正当化されると考えられるとした[13]。参加メンバーである生物学者のFlorianne Koechlinドイツ語版は、

植物が尊厳を持つ権利があるということで、その利用を減少させたり制限したりするべきではないし、研究も禁止されるべきでもない。動物の尊厳を認めることで、動物を食物連鎖から排除したり、動物研究を禁止したりすることを意味しないのと同様に、尊厳とは、動物と同様に植物に関しては、比例原則を考慮しなければならないということを意味する。したがって、植物の尊厳は絶対的な価値ではなく、道徳的に関連する利益のバランスによって達成される。すなわち、植物の利益は人間の利益と比較されるべきである。[注 1]
Florianne Koechlin、The dignity of plants[14]

と結論づけている。

法律上の論争

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植物の当事者資格についての著名な異議の著者ウィリアム・オービル・ダグラス英語版判事。

合衆国最高裁判所による1972年のシエラクラブ対モートン事件英語版の判決の少数意見[15]において、ウィリアム・オービル・ダグラス英語版判事は植物が当事者適格を持っているかについて記述した。

無生物は時に訴訟の当事者である。船舶が法人格を有するという虚構は海事において有益である……。そのため、谷、高山草原、川、湖、河口、海岸、尾根、林、沼地、また現代の技術や現代の生活の破壊的な圧力を感じる空気にさえ関連すべきである。 ……ここで命なきものの声が黙っているわけにはいかない[16]

スイス連邦憲法には動物や植物、その他の有機体を扱うとき創造物の尊厳の考慮を要求する規定が含まれており、連邦参事会は植物の尊厳はどのように保護されるべきかに関係する倫理的研究を行った[17]。植物の単一的争点を掲げた党がオランダの2010年の議会選挙に出馬した[18]。このような憂慮は現代文化が「批判的に考えたり、とるに足らない倫理的憂慮と真剣なものを区別する能力を失わさせる」ものである証拠として批判された[19]

2012年に、ニュージーランドの川は、その権利を守るために法に訴えるために、(監視者経由で)当事者である人間であると宣言された[20]

脚注

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注釈

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  1. ^ 引用者翻訳

出典

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  1. ^ Regan, Tom (2003). Animal rights, human wrongs: an introduction to moral philosophy. Rowman & Littlefield. p. 101. ISBN 0-7425-3354-9. https://books.google.co.uk/books?id=AmBksH1k2RMC&pg=PA101&hl=en 
  2. ^ http://www.mdpi.com/2075-4698/3/1/16/pdf
  3. ^ Marder, Michael (2013). Plant-Thinking: A Philosophy of Vegetal Life. Columbia University Press. ISBN 978-0-231-16125-1 
  4. ^ Marder, Michael (2012年4月28日). “If Peas Can Talk, Should We Eat Them?” (英語). Opinionator. 2023年11月13日閲覧。
  5. ^ Marder, Michael (2012年5月9日). “Is Plant Liberation on the Menu?” (英語). Opinionator. 2023年11月13日閲覧。
  6. ^ Marder, Michael (21 Jan 2013). “The time is ripe for plant rights” (英語). Al Jazeera. 2023年11月13日閲覧。
  7. ^ Vesilind, P. Aarne; Gunn, Alastair S. (1998). Engineering, ethics, and the environment. Cambridge University Press. p. 94. ISBN 0-521-58918-5. https://books.google.co.uk/books?id=aFaNf3XdJjIC&pg=PA94&hl=en 
  8. ^ Stone, Christopher D. (2010). Should Trees Have Standing? Law, Morality, and the Environment (Third ed.). Oxford University Press. ISBN 0-19-973607-3 
  9. ^ Stone, Christopher D. (1972). “Should Trees Have Standing--Toward Legal Rights for Natural Objects”. Southern California Law Review 45: 450–87. 
  10. ^ Butler, Samuel, “The Views of an Erewhonian Philosopher Concerning the Rights of Vegetables”, Erewhon, http://www.nzetc.org/tm/scholarly/tei-ButErew-ButErew-c27.html 
  11. ^ Hall, Matthew (2011). Plants as Persons: A Philosophical Botany. SUNY Press. ISBN 1-4384-3428-6 
  12. ^ Michael Heidelberger Nature from within: Gustav Theodor Fechner and his psychophysical worldview 2004, p. 54
  13. ^ Federal Ethics Committee on Non-Human Biotechnology (ECNH) (2008). The dignity of living beings with regard to plants (PDF) (Report).
  14. ^ Koechlin, Florianne (January, 2009). “The dignity of plants”. Plant Signaling & Behavior 4 (1): 78-79. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2634081/ 2022年1月28日閲覧。. 
  15. ^ 薮口康夫「現代型訴訟における当事者の拡大(3):選定当事者制度の再構成」『上智法學論集』第40巻第3号、上智大學法學會、1996年12月、151-175 (PDF-P.9)、ISSN 04477588 
  16. ^ 判決文邦訳については「判例USA」[1]シエラクラブ対モートン2011/02/01 10:51から引用
  17. ^ Florianne Koechlin (2009 January), The dignity of plants, 4, Plant Signal Behav., pp. 78–79, PMC 2634081, PMID 19568336, http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pmcentrez&artid=2634081 
  18. ^ Berkowitz, Ben (March 29, 2010). “Plant rights party to contest next Dutch election”. Reuters. http://in.reuters.com/article/idINTRE62S2HA20100329 August 7, 2010閲覧。 
  19. ^ Smith, Wesley J. (May 12, 2008), The Silent Scream of the Asparagus, 13, Weekly Standard, http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/015/065njdoe.asp 
  20. ^ Vines T, Bruce A Faunce TA. 'Planetary Medicine and the Waitangi Tribunal Whanganui River Report.' Journal of Law and Medicine 2013; 20: 528 available at: http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2235935 (accessed 28 March 2013)

関連項目

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外部リンク

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