植竹三右衛門 (1877年生の実業家)
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(植竹熊次郎から転送)
植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、前名・熊次郎[1][2]、1877年(明治10年)3月 - 没年不明)は、日本の政治家(栃木県那須郡川西町長)[1][3]、栃木県多額納税者[1][3]、商人(木材商)[4]、実業家。族籍は栃木県平民[5]。
人物
[編集]栃木県那須郡川西町(現・大田原市)に生まれた。先代植竹三右衛門の長男[1][2][3]。1933年、家督を相続し、前名・熊次郎を改め襲名した[1][3]。木材商を営み、傍ら銀行会社の重役であった[4]。
下野木材、帝國造林、東野鉄道各社長[1][6]、植竹商業代表取締役[1][3][4]、栃木県農工銀行、那須商業銀行、下野実業銀行、黒羽銀行各取締役[5][6]、下野中央銀行監査役などをつとめる[6]。
趣味は囲碁[1][3]。宗教は浄土宗[1][3]。住所は栃木県那須郡川西町大字黒羽向町[2]。
家族・親族
[編集]- 植竹家
- 父・先代三右衛門(1854年 - 1933年、栃木県多額納税者、味噌醤油醸造業、栃木県農工銀行頭取、貴族院議員)[2][6]
- 母・マツ(1855年 - ?、栃木、君島五郎の従姉)[3][4]
- 弟
- 妻・テツ(1880年 - ?、栃木、猪俣槇之助の妹。槇之助は下野醬油、下野酒造社長、黒羽銀行頭取)[1][3][6]
- 養子・達郎(1916年 - ?、弟・龍三郎の長男)[6]
- 二女・トク(1901年 - ?、東京、伴野乙弥の二男・清の妻)[6]。伴野乙弥(1867-1945)は東京帝国大学卒、日本銀行入行、水戸鉄道社長、日本興業銀行理事[7]
- 三女・ミツ(1905年 - ?、植竹春彦の妻)[1]
- 孫・澄子(1922年生)、トクの長女。御木本美隆(御木本幸吉の孫)の妻。ピアニスト
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 上』ウ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月22日閲覧。
- ^ a b c d 『大正名家録』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』ウ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月6日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』ウ50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月22日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』う47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』ウ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月22日閲覧。
- ^ 伴野乙弥『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
参考文献
[編集]- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。