椎尾神社 (島本町)
椎尾神社 | |
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二の鳥居 | |
所在地 | 大阪府三島郡島本町山崎5-1049 |
位置 | 北緯34度53分41.9秒 東経135度40分25.3秒 / 北緯34.894972度 東経135.673694度座標: 北緯34度53分41.9秒 東経135度40分25.3秒 / 北緯34.894972度 東経135.673694度 |
主祭神 |
素盞嗚尊 聖武天皇 後鳥羽天皇 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝・天平18年(746年) |
例祭 | 10月18日 |
地図 |
椎尾神社(しいおじんじゃ)は、大阪府三島郡島本町にある神社。旧社格は村社。かつては西観音寺という寺院であった。
祭神
[編集]歴史
[編集]『摂津名所図会』によれば、当社は現社地より西南の山間にあった西観音寺に由来している。西観音寺は、伝承によれば天平18年(746年)に聖武天皇の勅を受けた行基により創建され、聖武天皇の念持仏である千手観音を本尊とし、慈悲尾山信善谷西観音寺と号する天台宗の寺院であった。また、役小角が同寺内の閼伽谷で修行して呪術で閼伽を湛え、堂前の滝に不動明王を安置して山上に弁才天社を勧請したといい、西観音寺には大谷、中谷、閼伽谷の3つの谷があったので「谷の観音」と称したという。
後に建立された閻魔堂の閻魔王及び眷属像(現・重要文化財)は小野篁が彫刻したというもので、同寺と越中国中野、筑後国古津郡の3所に安置されたといい、後鳥羽上皇も水無瀬離宮より足を運んで拝んだという。このような縁から後鳥羽上皇の崩御の後、西観音寺では毎年2月22日に御忌仏事を行っていた。
江戸時代には本堂、法華堂、三重塔、閻魔堂などの堂塔が建っていたほか、塔頭も12坊あった。また、この山崎の地には西国街道と山崎宿があり、東から順に観音寺(山崎聖天)、宝積寺、西観音寺が並び立ち、にぎやかな場所であった。
しかし、1868年(明治元年)6月に神仏分離や廃仏毀釈により仏像仏器が撤却され、廃寺となった。1872年(明治5年)には閻魔堂にあった閻魔王及び眷属像が全て宝積寺に移されると、正式に椎尾神社と改称して神社になり、村社に列せられた[1]。
1880年(明治13年)には不要となっていた本堂、堂、鐘楼が観音寺(山崎聖天)に移築された。
現在、当社の南にはサントリー山崎蒸溜所があり、そこを通り抜けると当社がある。
境内
[編集]交通
[編集]周辺
[編集]- 観音寺(山崎聖天)
- 宝積寺
- サントリー山崎蒸溜所