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宜妃楊氏(ぎひ ようし、? - 万暦8年12月6日(1581年1月10日))は、明の万暦帝の妃嬪。
庶民であった楊臣の娘。容姿は美しく、万暦6年(1578年)に王喜姐(後に皇后となった)と劉氏(後に昭妃となった)と共に、選抜されて後宮に入り、その2月に宜妃となった。父の楊臣は正五品錦衣衛千戸に任じられた。
万暦8年12月6日(1581年1月10日)に死去した。享年は不明だが、20歳以下と考えられている。諡は栄恵という。金山に葬られた。