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楊 整(よう せい、? - 576年)は、中国の北朝の人物。隋の文帝楊堅の同母弟。
楊忠と呂苦桃のあいだの次男として生まれた。北周の明帝のとき、父の軍功により、陳留郡公の爵位を受けた。まもなく開府儀同三司・車騎大将軍となった。建徳5年(576年)、武帝の下で北斉を攻撃し、并州で戦死した。大象2年(580年)、楊堅が丞相となると、柱国・大司徒・冀定瀛相懐衛趙貝八州刺史の位を追贈された。開皇元年(581年)、隋が建てられると、蔡王に追封された。諡は景といった。
- 『隋書』巻四十四 列伝第九
- 『北史』巻七十一 列伝第五十九