コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

楠本正敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

楠本 正敏(くすもと まさとし、1866年11月7日(慶応2年10月1日[1]) - 1938年昭和13年)2月19日[1][2])は、明治から大正期の実業家政治家華族貴族院男爵議員都新聞社長。幼名・清七郎[1][3][4]

経歴

[編集]

肥前大村藩士・楠本正隆の長男として生まれる[1][3][4][5]。父の死去に伴い、1902年(明治35年)2月28日、男爵を襲爵[1][5][6]1905年(明治38年)10月、正敏と改名した[3][4][5][7]

1910年(明治43年)6月25日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]公正会に属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]。その他、都新聞社長として同紙の経営に当たった[3][4][5]

栄典

[編集]

親族

[編集]
  • 妻 アイ(野沢俊元長女)[1]
  • 長男 大助(男爵)[1][3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』542頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  3. ^ a b c d e 『華族畫報 上』400頁。
  4. ^ a b c d 『大日本人物誌』く29頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』ク37頁。
  6. ^ 『官報』第5594号、明治35年3月1日。
  7. ^ 『官報』第6685号、明治38年10月9日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
  9. ^ 『官報』第8103号、明治43年6月27日。
  10. ^ 『官報』第8657号「叙任及辞令」1912年5月1日。
  11. ^ 『官報』第2330号「叙任及辞令」1920年5月11日。
  12. ^ 『官報』第837号「叙任及辞令」1929年10月12日。

参考文献

[編集]
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌:一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
楠本正隆
男爵
楠本(正隆)家第2代
1902年 - 1938年
次代
楠本大助