楠本正敏
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楠本 正敏(くすもと まさとし、1866年11月7日(慶応2年10月1日[1]) - 1938年(昭和13年)2月19日[1][2])は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員、都新聞社長。幼名・清七郎[1][3][4]。
経歴
[編集]肥前大村藩士・楠本正隆の長男として生まれる[1][3][4][5]。父の死去に伴い、1902年(明治35年)2月28日、男爵を襲爵[1][5][6]。1905年(明治38年)10月、正敏と改名した[3][4][5][7]。
1910年(明治43年)6月25日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、公正会に属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]。その他、都新聞社長として同紙の経営に当たった[3][4][5]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』542頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
- ^ a b c d e 『華族畫報 上』400頁。
- ^ a b c d 『大日本人物誌』く29頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』ク37頁。
- ^ 『官報』第5594号、明治35年3月1日。
- ^ 『官報』第6685号、明治38年10月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
- ^ 『官報』第8103号、明治43年6月27日。
- ^ 『官報』第8657号「叙任及辞令」1912年5月1日。
- ^ 『官報』第2330号「叙任及辞令」1920年5月11日。
- ^ 『官報』第837号「叙任及辞令」1929年10月12日。
参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌:一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 楠本正隆 |
男爵 楠本(正隆)家第2代 1902年 - 1938年 |
次代 楠本大助 |