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業資王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

業資王(なりすけおう、寿永3年(1184年) - 元仁元年閏7月15日1224年8月31日)は、鎌倉時代公家。初名は康家兵部卿仲資王の長男。官位従三位神祇伯

経歴

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文治元年(1185年王氏爵により従五位下叙爵する。初名は康家であったがのち業資に改名している。建久9年(1198年)父の仲資王から神祇伯を譲られ、神祇伯を三代続けて出して花山王氏による世襲が確立された[1]

正治2年(1200年土御門天皇大嘗祭における仲資王の功労を譲られて従五位上に叙せられると、正治3年(1201年正五位下建仁3年(1203年従四位下承元3年(1209年)従四位上、建暦2年(1212年正四位下と昇進を続け、建保4年(1216年従三位に叙せられ、仲資王に続いて公卿に列した。

元仁元年(1224年)閏7月15日薨去享年41。最終官位は神祇伯従三位。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:仲資王
  • 母:卜部基仲の娘
  • 妻:藤原基輔の娘
    • 男子:資光王(?-1268)
  • 妻:藤原宗行の娘
    • 男子:宗舜
  • 生母不詳の子女
    • 男子:源業忠
    • 男子:資行王
    • 男子:資兼王

脚注

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  1. ^ 赤坂[2019: 155]

参考文献

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  • 日本史史料研究会監修、赤坂恒明著『「王」と呼ばれた皇族』吉川弘文館、2019年
  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年