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楯親忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
楯親忠
楯六郎親忠 樋口次郎光盛 歌川国芳
時代 平安時代末期
生誕 日本の旗 日本
死没 元暦元年1月20日1184年3月4日)?
別名 通称:六郎
主君 源義仲
氏族 滋野姓楯氏
父母 父:根井行親
兄弟 根井行長根井行直八嶋行忠親忠
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楯 親忠(たて ちかただ)は、平安時代末期の武将木曾義仲の家臣で、義仲四天王の一人。根井行親の六男。

生涯

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義仲に従って横田河原の戦い倶利伽羅峠の戦いなどに参戦し、活躍する。元暦元年(1184年)、宇治川の戦いに父・行親と共に参戦し、六条河原で討ち取られたとされている。

義仲の敗死後に行親の妻は義仲子孫と共に上野国群馬県渋川市北橘)に逃亡している。渋川市内に楯親忠の供養塔がある。

長野県南佐久郡佐久穂町辺りに屋敷を構えていた。

出典

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外部リンク

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