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樊章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

樊 章(はん しょう、生没年不詳)は、中国の前漢の人である。西暦紀元2年に舞陽侯

漢の功臣で舞陽侯だった樊噲の玄孫の子、すなわち樊噲を1世代目として6世代目の子孫である。父は樊勝客といい、民の爵である不更を有していた[1]元始2年(西暦2年)4月、平帝が功臣の子孫を探し、4人を列侯に、104人を関内侯に取り立てた[2]。このとき樊章は舞陽侯とされ、1000戸を食邑として与えられた[3]。先祖の樊噲は5400戸であった[4]。この時平帝は幼少で、実権を握るのは王莽であった。6年後の西暦8年に王莽は漢に代わっての皇帝となり、23年に滅びたが、樊章がどうなったかは不明である。

脚注

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  1. ^ 班固『漢書』高恵高后文功臣表第4。不更は20の爵のうち下から4番目。詳しくは二十等爵を参考。
  2. ^ 『漢書』平帝紀第12。ちくま文庫版『漢書』1の351-352頁。
  3. ^ 『漢書』樊酈滕灌傅靳周伝第11。ちくま文庫版『漢書』4の362頁。
  4. ^ 『史記』樊酈滕灌列伝第35。岩波文庫版『史記列伝』3、69頁。『漢書』樊酈滕灌傅靳周伝第11。ちくま文庫版『漢書』4の359頁。

参考文献

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