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樋口喜輔

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樋口喜輔

樋口 喜輔(ひぐち きすけ、1856年8月11日安政3年7月11日[1]) - 1933年昭和8年)11月10日)は、青森県出身の政治家実業家

経歴

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安政3年(1856年)、南津軽郡浪岡村(現在の浪岡町)に山内伝三郎の三男として生まれた。

一代で財を築き、当時の市財界の指導的立場に立つとともに、町政・市政にも関与。

明治25年に町会議員に当選して以来、20年にわたって町会・市会議員を務め、明治43年には市会議長に就任。明治45年には衆議院に当選(政友会)。

この間、青森港第2期拡張工事、水道事業の開始などに尽力。

大正10年青森貯蓄銀行(のち,みちのく銀行)を設立,頭取となる。他に、第五十九銀行監査役,青森電灯取締役などもつとめた。

また、青森商業会議所の設立発起人の1人で、明治41年には第4代会頭に就任し、その後も第7代(大正4年〜10年)、第9代(大正14年〜昭和4年)会頭も務めた。

人材の育成を目的として青森市育成会を創設するなど、市の発展に多くの功績を残した。昭和8年11月10日死去。78歳。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、31頁。

参考文献

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  • 『樋口喜輔翁傳』樋口商店、1962年。