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樋口誠康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋口誠康

樋口 誠康(ひぐち なるやす[1] / なりやす[2]1865年10月28日(慶応元年9月9日[1])- 1946年昭和21年)6月6日[1][2])は、明治から昭和前期の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍歩兵大尉貴族院子爵議員

経歴

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山城国京都右馬権頭樋口静康の四男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い1874年(明治7年)7月13日、家督を相続[1][4]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]

陸軍士官学校(旧10期)に入り[6]1888年(明治21年)7月28日、歩兵少尉に任官[7]。以後、歩兵第4連隊小隊長、歩兵第10連隊中隊長などを歴任[2]1897年(明治30年)10月25日、歩兵大尉に昇進し、1904年(明治37年)7月10日、予備役に編入された[2][8]

1904年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[9]研究会に所属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで4期在任した[2][4]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』394-395頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』48頁。
  3. ^ a b 『樋口家譜』
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ヒ12頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『陸軍士官学校』230頁。
  7. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』84頁。
  8. ^ 『陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿 明治45年7月1日調』59頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、13頁。

参考文献

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  • 『樋口家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
  • 陸軍省編『陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿 明治45年7月1日調』川流堂、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
樋口家初代
1884年 - 1946年
次代
栄典喪失