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横尾義智

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横尾 義智(よこお よしとも、1893年8月28日[1]1963年1月9日[2])は、日本の政治家。

経歴

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新潟県東頸城郡小黒村(のち同郡安塚村→安塚町、現在の上越市)に生まれる。1902年東京聾唖学校入学[3]1908年に同校唖生尋常科を卒業[4]。その後、同校図画科に進学[3]し、1912年に卒業[5]1915年家督を相続し[6]、翌1916年5月には安塚銀行創業の発起人塩崎貞佐久の四女里子と結婚。1920年7月、小黒村長の滝沢義親らと小黒信用購買販売利用組合を設立し、組合長を務める[7]1921年に出資者の一人として東京楽善合資会社の設立にあたり[8]1923年には代表社員となった[9]1934年2月4日、小黒村長となる[2]。また、 日本聾唖協会の専務理事をその創立時から務めた[10]大政翼賛会小黒村支部長であったことにより、戦後、公職追放となる[11]1950年に解除[12]。スポーツマンでテニスが得意であった[13]

参考文献

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  • 齋藤陽道 (2023年9月22日). “働くろう者を訪ねてvol.24 横尾義智さん【村長】”. こここ 福祉をたずねるクリエイティブマガジン. マガジンハウス. 2023年10月13日閲覧。
  • 横尾義智 全国初のろうあ村長”. 上越市立歴史博物館. 上越市. 2023年10月31日閲覧。
  • 野呂一「ろう者村長・横尾義智」『現代思想』第25巻第5号、青土社、1996年、142-151頁、CRID 1523388080227556480 

脚注

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  1. ^ 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年9月6日、36頁。NDLJP:1445744/25 
  2. ^ a b 野呂一 1996
  3. ^ a b 『東京聾唖学校概覧 明治44年3月』東京聾唖学校、19頁。NDLJP:813229/11 
  4. ^ 『官報』第7428号、明治41年4月4日、p.72.NDLJP:2950775/7
  5. ^ 『東京聾唖学校一覧 自明治45年4月至大正2年3月』東京聾唖学校、1912年11月16日、77頁。NDLJP:941239/54 
  6. ^ 人事興信所 編『人事興信録 第8版(昭和3年)』人事興信所、1928年、ヨ6頁。NDLJP:2127124/1/1711 
  7. ^ 日本産業助成協会産業組合部 編『全国産業組合名簿』日本産業助成協会、1935年9月15日、86頁。NDLJP:1443400/257 
  8. ^ 『官報』第2821号附録、大正10年12月26日、p.5.NDLJP:2954937/59
  9. ^ 『官報』第3204号、大正12年4月9日、p.247.NDLJP:2955327/10
  10. ^ 藤本敏文 編『聾唖年鑑 第1回(昭和10年版)』聾唖月報社、1935年3月23日、582-583頁。NDLJP:1226860/347 
  11. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、761頁。NDLJP:1276156/701 
  12. ^ 公職資格訴願審査結果公告第1号(『官報』号外第116号、昭和25年10月13日、p.53.NDLJP:2963674/36
  13. ^ 日本風土民族協会 編『越・佐傑人譜 昭和14年度版』日本風土民族協会、1938年12月1日、よ1-よ2頁。NDLJP:1025635/274