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横山友隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
横山 友隆
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
別名 九郎兵衛(通称
主君 長宗我部国親元親
氏族 横山氏
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横山 友隆(よこやま ともたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。土佐国介良城主。

略歴

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横山氏は土佐国長岡郡国人で、横山党の末裔という[1][注 1]

天文年間(1532年1555年)、友隆は長宗我部国親による香長平野併合に抵抗し、坂折山で国親と戦って武名をあげたが、後に降ってその家臣となった[2]

永禄12年(1569年)の八流の戦い安芸国虎勢を打ち破り、本山氏滅亡後はその支城であった浦戸城の城番大将に任ぜられた。『長宗我部地検帳』によると、9人の給人を統率して浦戸城詰ノ段に在城していた[2]

また、内政面でも長宗我部氏の崇敬の厚い吾川郡長浜若宮八幡宮を造営するなど活躍した[2]

注釈

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  1. ^ 出家した横山氏の一族が土佐に訪れて金剛頂寺の住職となり、更にその子孫が介良に来て城主となったという[2]

脚注

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  1. ^ 森岡浩『戦国大名家辞典』東京堂出版、2013年12月30日、558頁。ISBN 9784490108422 
  2. ^ a b c d 山本大小和田哲男『戦国大名家臣団事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日、228-229頁。ISBN 9784404010766